見ることができる本がある。ポリー・トインビーの『ハードワーク』(東洋経済新報社 椋田直子訳
05年)である。高齢期にさしかかったジャーナリストの女性が、病院の下働きや学校給食調理などの現
場で働いてみて、新自由主義改革の意味を考えて書いたものだ。この本によると・・・・
国家医療サービス(NSH)経営の病院で、掃除や患者の移動補助(ポーター)などの周辺労働が民営化され
た。病院は、直接雇用していた人員の人件費と、請負会社に支払う料金の差額分だけ、経営を「効率化」
できた。国や自治体の大型公共サービスを請け負うのは、たいてい国際大企業傘下の会社。それぞれの
公共事業体ではときどき請負業者の変更をするが、規模が大きいので業者は限られ、事実上は輪番制のよ
うになっている。
業者はどうやって利益を上げるのか。例えば病院から支払われる料金と、主として人件費である経費と
の差額から。利益に旨みがあるから、大資本が手を出す。著者が働きはじめた病院では、16人いたポー
ターが11人に減らされ、さらに9人にされそうだ。働くのは請負会社の正社員と下請けからの派遣であ
る。派遣労働者は最賃法ぎりぎりしか受け取れないので、いくつかの仕事を掛け持ちして、1日12時間
は働かないとくらしていけない。長期になると正社員化をちらつかせて引きとめようとするが、まず実現
しない。正社員は派遣への差別意識は満足させられても、収入は最低生活ぎりぎり。全体としては派遣の
7割は女性で、白人男性は少ない。
こういう民営化の結果は ? 契約で会社が請け負う仕事の範囲が厳密に規定されている。ポーターは患
者の体に触れることは禁じられ、小柄な看護師が重い患者を車椅子に移そうとしているのに手を貸しては
ならない。正式な要請がなければ、車椅子で放置され途方にくれている患者を見ても、病室に戻すことも
禁じられている。別な会社が請け負う区域にまで付き添うことももちろん禁止だ。一移送の標準時間が決
められているから、泣いている患者を慰めることはできず、不安から手を握って離そうとしない老婦人を
突き放さなくてはならない。一人が標準時間より短い時間で仕事をすれば、その時間が標準にされて人員
削減につながるから、能率よく働くことは裏切りになる。
労働者の生活水準低下、公共サービスの劣化は別として、経費は国全体として節約になるのだろうか。
直接雇用時代のポーターは納税者だった。だが派遣には納税するほどの収入はない。低所得層の拡大は所
得税収入の低下になる。さらに、12時間働き続けて病気になれば、公的医療保障や生活保護に頼ること
になるから、社会保障費の支出が増える。生活保障給の水準以下の労賃しか支払わない会社は結果とし
て、払うべき賃金を公的に助成されて儲けていることになる。
著者は最賃法の金額を生活保障水準(平均で時給1000円以上)にすべきだという。最低賃金の値上げ
には、日本の経団連と同じで、経営者団体から強い反発が出る。それでは中小企業が倒産して失業が増え
る、と。著者のポリー・トインビーの意見は、従業員に生活保障給水準の賃金を支払えない企業は淘汰さ
れていい、というものだ。
わたしが思うに、経団連の指導者である大企業の経営者たちは、下請け業者に納入品の価格削減を要求
し、応じられない中小企業は冷淡に切り捨ててきている。彼らのホンネは、パート、請負、派遣の低賃金
から得られる利益を失いたくない、というものだ。この利益によって、彼らの所有する株が値上がりし、
経営者報酬も増える。失業増加は、非正規雇用の人的市場を拡大するから、消費市場縮小を補う利点があ
る。中小企業倒産論はホンネを隠す口実に過ぎない。
それにしても、日本も非正規雇用・低収入労働者には、女性が圧倒的に多いのに、小泉・安倍両首相に
女性の人気が高かったのだから、ふしぎだね。自民党や経済界の指導者の多くが、教育や大衆娯楽を通じ
て、「あるべき家族」像を普及させたがるのも、女性の低い社会的地位が彼らにとって望ましいからだ、
とわたしは思うのだけど。