天上庭園 高度社会保障国家への道 3

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 旭岳高原(わたしの勝手な命名)では、天気さえよければ、その一画を切り取っただけで整った庭園にな

りそうな場所が、いたるところに見られます。沼のある景色はすでに紹介しました。今日は山々を背景

に、岩とハイマツと背の低い草が配置された庭園です。最後の一枚の山は当麻岳と比布岳です。



〔高度社会保障国家への道 3〕

 強い経済は、豊富な資本と利用しやすい金融市場と並んで、生産性が高くて豊富な労働力の市場にも支

えられている。例えば、30分で情報コンテンツに100ドルの付加価値を実現する労働力は、同じこと

を1時間でする労働力に比べ、効率が二倍である。ともに時給が15ドルで、設備投資など他の条件が同

じなら、前者を雇用する企業は後者しか雇えない企業より競争力が強い。

売値38ドルのシャツで3.8ドルが縫製作業による付加価値だとする。30分あるいは1時間で100

ドルを実現するには、その間に26枚強の作業を終わらせなければならない。もちろん手縫いでは不可能

である。完全自動機械(縫製ロボット)なら可能かもしれない。その場合の仕事はプログラムの設定・変更

や機械の管理・補修である。情報処理や機器管理の専門知識とキャリアーが必要であり、時給はやはり1

5ドル。

 半自動縫製機械なら、専門的知識・技能のない労働者でもわずかな訓練で使いこなせる。10人が必要

だとしても、一人0.8ドルの時給で雇用できれば、ロボット化は不要だ。労働生産性は10分の一にな

るが、投資効率はずっといい。中国の労働生産性は日本の17%(04年、非製造業を含む-社会経済生

産性本部06年「労働生産性の国際比較」)とはいえ、製造業の労賃は日本の8%未満(中小企業庁H.1

6年度白書の数字から計算)である。このため世界から資金が流入し、各国の縫製衣服市場に中国製品が

あふれている。

 中国の一人当たりのGDPは平均では日本の20分の一未満(05年)だが、昨年広州は3分の一近くま

で迫り、上海は5分の一を超えた(市当局発表をもとに計算、数字の水増しがあるかも)。しかし、労働生

産性の急成長にもかかわらず、この国の平均が日本の水準に達するまでには、数十年かかる計算になるよ

うだ。経済がグローバル化しているから、時々の収益率で動く資本の盲目的な運動が、やがて地球規模で

労働力価格を平準化する。そのとき世界は、科学技術の潜在的可能性の全面的開花に向かい、労働生産性

が飛躍的に向上する。だがそれまでに長い時間がかかる。

 いまのところ経済先進国は、単純労働の集約的投下が効果的な産業分野を労賃の安い国に委ね、専門知

識・技能が不可欠な分野に重点を移す経済構造改革(脱産業化、情報・サービス化)を進めるしかない。い

ま日本は、製造業の労働生産性こそOECD24カ国の第三位だが、サービス業を含む全体の労働生産性

では、OECD30カ国中19位(米・英・仏・独・加・伊・日の主要7カ国では最低)で、2位のアメリ

カ(一位はルクセンブルグ)の約70%である(社会経済生産性本部06年「労働生産性の国際比較」)。

 企業イメージや自社ブランドへの信用を高め、衣服産業ならデザインを工夫するなどして、付加価値を

上げる努力は必要だ。だが例えば、縫製の単純作業を専門とする国内中小企業を救済するため、最低賃金

を低く抑え、いままで通りの経営維持に助成するような政策はまちがっている。低賃金や長時間の無償残

業で労働力コスト下げようとするのは、途上国型経済への退行につながり、強い経済への道ではない。

 経済構造改革によって倒産の危険が生じる中小企業には、業種・業態の転換や従業員の再出発で支援す

べきなのだ。労働生産性向上を、もっぱら労働者の自己責任と犠牲に求める政府と企業指導者は、無能で

あり国家経済を衰退させる。産業空洞化で国民を恫喝するのは、構造転換を効果的に進める能力がないの

に指導者の地位は失いたくないという、保身の策である。

 非正規雇用の正社員化ではなく、就業時間の長短にかかわらず、同一内容の労働は単位時間当たりの報

酬を同じにするべきなのだ。上司への価値観の同化や人格的忠誠を求めるから、子飼いにこだわって少数

エリートを優遇したがる。序列秩序を廃し、能力と業務への誠実さだけで評価しなければ、経営効率や労

働生産性の向上にブレーキがかかる。社内福祉や定年後の保障は公的設計に委ね、企業の興廃、業種・業

態の転換に対応できる労働市場の流動化を促進しなくてはならない。企業課税をその誘導手段として活用

する。失業給付、再就業準備・再学習の支援は、中央・地方政府の責任で万全を期する。

 日本の学校教育では、専門知識・技能を活かす意欲と自発性と創造力を潰す方向がいっそう強くなろう

としている。政治家と財界首脳の多数派は、情報・サービス化で求められる労働者の資質が、序列秩序へ

の順応と逆方向であることがわかっていない。少数エリートの選別ではなく、すべての人の勤労意欲と能

力を向上させる教育が必要なのだ。フィンランドに新しい教育の一つのモデルがあることは、別稿ですで

に述べた。

 労働生産性を向上させ、その成果を労賃に反映させる。労働賃金は経営コストであるだけでなく、高度

社会保障と情報・サービス消費の原資でもある。高度社会保障のためには、税や公的保険料として、平均

で収入の50から70%を負担することになる。収入が必需消費を下回ったり、ぎりぎりだったりすれ

ば、この負担は不可能である。労働生産性の向上とそれに見合う収入があってはじめて、高度社会保障

可能になる。

 公的負担以外の所得は、子どもの教育費・老後保障・傷病と失業への備えなどの心配をせずに、日々の

くらしを楽しむために支出できる。それによって情報・サービス市場が拡大し、工業製品輸出への依存度

が高い日本の経済構造が変る。国内情報・サービス需要の拡大で、この分野の労働生産性が向上し、国外

からの顧客の満足度もより高くなる。製品輸出競走は製造業労賃抑制につながる。情報・サービス市場の

高い生産性とそれに伴う高い労働報酬は、高度社会保障があれば、情報・サービス市場に還元される。完

全公費負担による新しい教育と高度社会保障による高い労働生産性、その結果として経済の情報・サービ

ス化の促進で、日本経済の自立性が高くなる。

 高度社会保障の実現には、政治と行政に対する国民の信頼が不可欠である(続く)