つがいのオジロワシ

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 美幌川で撮ったものです。とくに右側の一羽で頭部の白が目立ちます。霧多布で泊まった宿の人から、

夏のオジロは全身が白いと聞きました。彼は野鳥の保護観察を受託している人なので、まちがいないと思

います。わたしも、聞く前にそれと気づかず、白い一羽を目撃しました。前の家のご主人が、白いのと黒

いの二種類来ているけど、同じ種類なのだろうか、と言っていました。オオワシではないようですし、夏

羽がまだ残っているのかな。


              新しい文明の姿を考える 


(22) 最終章 その三


 『不健康が健康を損なう』はこう分析しています(27-29頁)。貧しい国では個人所得と生活への満

足度が比例している。しかし先進国のアメリカや日本では、一人当たりのGDPが2倍になる前と後で生

活満足度にあまり変化はなく、所得と満足度にほとんど相関が見られない、と。「豊かな社会では幸福を

金で買えると思う人が多いが、貧しい人々は金で買えないものの価値を知っている、」という類の意見を

聞くことがあります。ところが統計的調査が示す事実は逆だということです。

 空腹、厳しい寒暑、避けられない雨露は苦痛ですから、所得が増えて自分や家族のその苦痛を緩和でき

れば満足が増加します。衣食住にかかわる必須消費財を購うのに必要な所得増を、多くの人が期待できる

ようになった社会は活気づきます。昭和30年代の日本、今度の世界同時不況前の中国沿岸部などがそう

でした。しかし、ほとんどの人が必需消費をあたりまえに購えるようになると、ちがう欲望が表面化しま

す。その欲望を多くの人が満たせなければ、社会に停滞的な雰囲気が広がります。

 日本のサラリーマンの大多数は、『構造改革論の誤解』が言うように、会社で地位と収入の階段をひと

つでも上に登って、同僚や仲間に「みせびらかす」欲望に駆りたてられて働きました。『不健康が健康を

損なう』は、アメリカでは「地位的財(他人が所有していないことで価値が出る財)」、あるいは「特権的

財」への欲求充足が満足にかかわっていると、分析しています(61頁)。つまり他人より所得が勝ってい

れば幸福を感じる、というのです。だから、最高所得の高い人が住む地域では、どの所得水準の人も満足

度が低い、と。(31頁)

 日本では会社や役所のなかでの比較が、アメリカでは社会的地位を示す所得水準が、関心の的です。と

もに基準が自分の外にあるので、抜き去る相手への嫉妬に悩まされます。相手が上昇すれば追いつき追い

越したいと渇望します。追い越すと別な人の背中が見えてきます。ケージのなかでハツカネズミが踏み車

を回すように、満足はいつも先を逃げていきます。醒めて冷静になれば、空しさを感じるでしょう。それ

に、昇進の満足は劣位者への蔑視と背中合わせですから、自分より下の格差拡大に鈍感になります。役付

きは平社員の、正社員は派遣の、低い待遇を自分に納得させる理屈を容易に思いつきます。アメリカでは

国民的統合の崩壊が懸念されるようになってようやく、社会的分断の修復を主張するオバマを大統領に選

択しました。「みせびらかし」の欲望に付け込んで競争をあおるシステム。それは創造力を迷路に閉じ込め

イノベーションを妨げるだけでなく、消費市場を貧しくして経済を袋小路に追い込みます。

 それでも日本的システムが機能しているあいだは、男性の大企業社員や役人であれば、やがて部下をも

つことができ、自分の最高地位で定年を迎え、退職金や年金で老後を保証されるという期待で、気持を支

えることもできました。アメリカでは一人当たりGDPが世界一であるあいだは、キャリアーを上昇する

層には誇り(立場を変えれば傲慢さ)がありました。

 ところが不動産バブルがはじけてからの日本には、初めに入った会社で昇進して定年を迎えられると安

心して働く人は、あまりいなくなりました。アメリカは、モノ生産で日本やヨーロッパ、最近では中国な

どにも追い上げられて、生活水準世界トップの地位を失いました。中層でも会社の先行きに不安を感じ、

半数以上の国民が利子配当をあてにするようになっていました。株主・投資家としては高額配分を求めま

す。

 アメリカでも日本でも、実績主義が流行りました。経営者・管理者の実績の基準は、当期利益上昇への

貢献です。アメリカでは、「みせびらかし効果」が期待されて、高額配当をする経営トップの巨額報酬が許

容されてきました。上から下に順次富が流れ落ちる(trickle down)と言われました。そのために切り詰め

られたのが、未来に投資しイノベーションを励ます原資になる内部留保、それに従業員の所得やくらしの

安定への配慮です。そこへ今度の金融危機から始まる世界経済の大嵐です。効率化を「みせびらかし」に頼

るシステムが行き詰まって金融バブルが生まれたのに、それがはじけたからといって、前に戻ろうとして

も解決になりません。

 日本では企業一家意識に妨げられて同一労働同一賃金が広がらないなかで、政策的に非正規労働市場

自由化されたために、新たな貧困が産み出されました。国内消費低迷を輸出で補おうとして、外国人の出

稼ぎや派遣などの低コスト労働に頼る構造が、ますます深く浸透します。アメリカでは社会的格差拡大が

国内の文化的需要のブレーキです。「みせびらかし効果」で労働コストを低く抑えて競争させるシステム

は、広範な勤労大衆の収入とゆとりを圧迫するので、彼らの社会保障や情報的な新しい消費に適応する国

内市場への投資に、利潤がなかなか回りません。そこで、世界中の投機市場で利潤を漁る巨大資金が、必

需消費に事欠く途上国の低賃金を利用しようとしますから、絶対的貧困の解消が遅れ、世界的格差はむし

ろ拡大しました。


 オバマは、言葉で語られた理念に共感するたくさんの人々から少しずつ集めた豊富な資金で、大統領選

挙を戦って勝ち抜きました。企業や業界および宗教団体や特定目的の組織が見返りを期待して提供する大

きな支援に依存する選挙戦とは、一味ちがう何かの台頭が感じられます。NGO、NPO社会的企業

どの活躍が注目されています。趣味を仕事にする人も増えました。『経営の未来』が例示したようなイノ

ベーション企業も現れています。北欧諸国は、08年度の結果はまだわかりませんが、07年度までの一

人当たり国民総生産は、安定して世界の上位を占めるようになっています。

 これらの組織や人はすべて、最終目的としての利潤や、「みせびらかし効果」での競争には否定的です。

とはいえ、例えばNGO、NPO社会的企業のなかに、自分たちは社会貢献をしているのだから尊敬さ

れ支援されて当然だ、という意識をもつ団体が混じるかもしれません。そういう組織は、お上(かみ)風を

ふかす役人、名声のために慈善を施す俗物、イデオロギー的序列秩序で専制を敷いた「社会主義国」と同

じような、独善に染まっています。

 社会的目的を掲げる組織にも競争市場が必要だと思います。競争の基準を「利潤」と呼んでもいいでし

ょう。その市場とは、事業の目的が適切で運営が効率的な組織に経済資源が集まり、事業目的が社会のニ

ーズとずれていたり運営が硬直していたりする組織からは資源が引き上げられる、そういうシステムのこ

とです。オバマ陣営は訴えた理念が的確で、それを浸透させる運動に効果的なイノベーションを取り入れ

たので、多額の資金を集めて勝利しました。彼らが、国家政策立案施行でも同じように成功するかどう

か、これから結果を待つことになります。

 趣味を仕事にした人も、需要を開拓できなければ利潤が確保できず、事業や生活を維持できなくなりま

す。適切に運営される高度社会保障は、新しい雇用とくらしのゆとりを作り出すので、国内消費市場を底

上げします。それが北欧諸国の経済競争力を支えるひとつの要素でした。社会保障事業の資金は、最終的

には営利的な事業収入ではなく、年金積み立てのような受益者の負担金、付加価値税(消費税)、累進的な

所得税相続税など、所得再配分機能のある公共的な資金プールです。出資は公共的でも事業実施者に

は、目的意識と効率で資源配分を争う競争が必要です。独占的な官僚組織は、長い間には腐敗と硬直化が

避けられません。選挙民の支持を争う競争で選ばれた政治家が、事業者の監査監督・情報開示・競争管理

の最終責任を負うことになります。企業の健全な淘汰のために公正に管理される株式市場が必要なのと同

じで、透明な情報にもとづく利用者の選択が保障され、それで事業所が淘汰されるべきです。

 『経営の未来』が例示するイノベーション企業はもともと、自由市場で存亡を争う民間企業です。当然

市場から資金を調達することもあり、そのためにも利潤はだいじです。もっとも、株式を非公開にした

り、社員を株主にしたりもしています。高リターンを求める投機家に、事業の充実・拡大のための利潤を

食い荒らされないためです。社員は利潤拡大に貢献できるイノベーションの競い合いが期待されていま

す。しかし彼らには、利潤は最終目的ではなく、それぞれの企業が掲げる社会的目的の手段であるとわか

っています。その目的への貢献の意識と、その貢献が公平に評価されることへの信頼が、社員がイノベー

ションに励む動機です。それぞれの企業が掲げる目的は同じではありません。そこにもより適切に社会の

ニーズに応える競争があります。

 このように考えてくると、社会的目的を共有する民間企業でイノベーションに励む従業員は、あるべき

姿の社会活動団体・社会的企業のメンバーや、やりたい仕事を選んだ個人事業者、公共目的に忠実に仕事

の効率化を工夫する公務員などと、本質的にはなんら変わらないことになります。自分が社会にとって意

義のある存在だという自覚と、社会によるその承認は、くらしの満足につながります。そしていま、必需

消費が満たされた社会では仕事に、個人を社会につなぐ意味が浮かび上がってきています。家族やインタ

ーネットなどの情報通路にもその機能はあります。しかし家族は人と人の広がりが狭く、インターネット

は人格を抽象化します。仕事は広がりも人格性も備えています。(次の最終回に続く)