一方向の議論は危ない

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 マイクル・クライトンという名前に心当たりはありますか。すぐyesと答えた人、あなたは見てますね。そうです、それ自体一つの産業といえるほど世界中で売れているアメリカのテレビ・ドラマ、ERのプロデューサーです。わたしは知りませんでしたが、彼は小説家でもあったんですね。「反温暖化防止」をテーマに小説『恐怖の存在』(早川書房)を書いたという紹介を見て、図書館でリクエストして読んでみました。主人公は普通なら死ぬような目に何度もあいながら、いつも幸運な偶然で都合よく生き残るんですから、小説としてはいまいちでした。でも、作者の評論家的な主張の部分はとてもおもしろかった。「反温暖化防止」のことは後で触れます。今日は、ほとんど反対意見が表に出ず、少数の反対者が冷遇される、「一方向の議論(この表現はわたしのもの)」がとても危険だ、という彼の主張の例として書かれた、優生思想をとりあげます。
 優生学チャールズ・ダーウィンの進化論が世に出た後に広まった思想で、すぐれたヒト遺伝子を残し劣った遺伝子をなくそうという主張です。今ではだれも、公式には、賛成しませんが、一時は欧米を席巻しました。アメリカ、北欧、ドイツなどでは「精神に欠陥のある者」を本人の同意無しに断種する法律が成立し、大規模に実施されました。イギリス、フランス、ソ連では立法まではいかなかったものの、知識階級では大人気になりました。カーネギー財団やロックフェラー財団がその推進に潤沢な資金を提供し、ドイツの科学者は、ナチスでないものも含め、積極的に関与し、イギリスのG.H.ウェルズや北欧のノーベル賞科学者などの、そうそうたる知識人たちが推進者でした。
 マイクルが言うには、優生学には何の科学的根拠もない。この運動は「科学的計画を装った社会的計画だった」。厳密に定義されたことのない、あいまいな用語を用い、近所や自国に移民や好ましくない人が住み着くことに対する警戒心、それに人種差別の意識をかきたてた。そして科学者は抗議するどころか
むしろ推進する側に回った。こういう「大いなる新理論に呪縛される」危険はいまもあり、地球温暖化理論も共通点をもつ、と彼は言いたいようです。わたしも世の中がほとんどが賛同し、疑問をもつ人が肩身の狭い思いをしたり、身の危険を感じたりするときには、その一方向の議論を疑ってみなければならないと思っていました。ですからこの点での彼の主張はわが意を得たりの感があります。
 ついでに、優生論についてちょっと調べてわかったことを書きます。優生思想にもとづく断種手術はアメリカが最も早かった。1894年にカンサス州の精神遅滞者施設で実施されている。最終的には32の州で断種法が制定され、その中には知的障害者精神病者だけでなく、梅毒患者や性犯罪の累犯者を対象とするものもあった。優生運動は、特に第一次世界大戦後の金融恐慌のときにもっとも盛んになり、低価値とされたものを社会から抹殺する口実に使われた。
 ドイツではヒットラーの下で、のべ40万人の不適格者の断種が行われ、その多くは後に安楽死計画で殺された。ノルウェーフィンランドデンマークでも断種法が成立しているが(カナダも)、ドイツに次ぐ欧州での優生運動成功例はスウェーデンである。北欧は、「優秀な北欧人種」伝説の影響もあるとはいえ、福祉国家建設のための社会操作、国家経済への配慮の面が中心である。知能障害、精神病、遺伝性の病気や身体障害、「反社会的生き方」も対象とされたり、女性の妊娠中絶は不妊手術に同意しないと許されなかったりもした。
 戦前の日本でも優生思想ははやったが、「生めよ増やせよ」の時代が終わった戦後になって、制度化された。1996年に母体保護法になる前の優生保護法には、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という言葉が含まれていて、本人の同意がない強制手術は1万6500件にのぼるという。この法律では遺伝ではないのにハンセン病も対象だった。
 デンマークは1967年、フィンランドは1970年、スウェーデンは1975年、ノルウェーは1977年に、強制不妊、去勢を廃止した。日本は1996年の母体保護法で廃止。しかしフィンランド精神遅滞者と精神病者には保護者同意による不妊手術が、ノルウェーには遺伝的、社会的理由による本人同意無しの不妊手術が今も残っているという。
 (ネット上で笠原千秋の「文明人の偏見」と、長瀬修の「優生・スウェーデン」を参照させてもらいました。多謝。)

 今日の写真は、能取岬の対岸から見た能取湖2点と、サロマ湖を背景にしたエゾノシシウドの花です。