光る朝霧

まりさん、教えてくれてありがとう。気が付きませんでした。パソコンの具合が悪くて、いろいろトラブル続き

です。

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 低い朝陽に光る朝霧が好きです。ここに白鳥の姿でもあるといい絵になるのに。今期の美幌川では、一回だけ

鳴声が聞こえましたが、姿は見ていません。

 政治の現在と未来についての感想 7

                              ―――「愛」とプロ意識(承前)

 

 公的意味合いをもつ職業観の始まりを、マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と


資本主義の精神』(用いたテキストは岩波文庫版 大塚久雄)で、こう説明しています:宗教改革


で生まれたキリスト教の新しい宗派(プロテスタント諸派)が、「天職」という概念を中心教義に含め

ていた。彼らは「世俗的職業の内部における義務の遂行を、およそ道徳的実践のもちうる最高の

内容として重要視した」。「神によろこばれる生活を営むための手段はただ一つ、各人の生活上の

地位から生じる世俗内的義務の遂行であって、これこそが神から与えられた「召命」」と考える。(1

09・110) 


 英語で職業を意味する単語・プロフェッション(profession)は、もともと信仰告白のことです。プロ


フェッショナルであるという自覚は、神に割り当てられた(召命)職業的義務をよく果しているという


意識とつながっています。プロテスタンティズムの普及は、資本主義の勃興と同時進行です。ヴェ


ーバーの考えでは、利潤追求を義務とする意識は、「資本主義文化の「社会倫理」に特徴的なも


(50)」でした。そして、初期資本家は、見栄、贅沢、不当な権勢の利用を嫌う禁欲的な理念を


もち、巨万の富を擁しながらそれを自分のためには使うべきではない、という「非合理的な感情」


があった、としています(8081)。もっとも今の(この本の出版は1920年)資本家は、「近代資本


主義が勝利を得て、古い足場から自己を開放した」ので、国家による経済統制を好まず、「教会的


規範」を妨害と感じている(82)、という認識を示しています。


 現在のアメリカでは、市場規制と社会保障制度充実に反対する新自由主義派経済人と、キリス


ト教原理主義の宗教保守派が手を携えて、茶会運動などを盛り上げ、民衆の保守的感情を組織


しようと躍起になっています。前節の最後に言及したヴェーバーの認識とはちがっているようです


、別なところで彼はこう言っています。「この宗教的禁欲の力は、現世における財の分配の不平


が神の特別な摂理のわざであり、神はこの差別をとおして、恩恵の予定によってなし給うのと

同じに、われわれのあずかり知らぬある秘密の目的をなしとげ給うのだという、安心すべき保障を(

資本家に―引用者)与えたのだ(356)」。今の貧しさに耐えて懸命に働くことで天国の門が開か

れる、というわけです。新自由主義派経済人の、自分は禁欲的であることはやめたけれど、下層

の人々は苦しみを耐え忍ぶべきだという都合のいい主張に、宗教保守派が神の名においてその

倫理的根拠を提供している構造です。 


 もともとプロテスタント諸派は「低賃金にもめげない忠実な労働を神は深く悦び給う(359)」と考


えていたので、「労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった(360)」と、ヴェーバ


ーは書いています。江戸時代の生産者は、仕事のなかで自分の美意識と技への誇りが満たさ


れ、見る人使う人が喜んでくれれば幸せを感じました。くらしが成り立つ報酬は必要ですが、それ


以上をあえて得られなくても笑って日々をすごせます。来日欧米人の故国では、資本家が天命と


して自信をもって利殖に励み、労働者に支払う賃金の節約に努めています。労働者は、低賃金長


時間労働に耐えて生産性を高めるのがあなた方の天命で、現在の苦しみが天国で報われるのだ


と説かれます。日々の「私ごと」に喜びを求めるのは悪い労働者なのです。


 現在のアメリカでキリスト教保守派が執着するのは、儲けては投資する禁欲的な大金持ちと天


命としてつらい労働を引き受ける良い労働者が、「愛」によって結ばれて社会を構成する、古き良


アメリカの幻想。彼らの目にはオバマ大統領が、その理想の前に立ちはだかる黒い「共産主義


者」に見えるのでしょう。現代アメリカの保守派ほどではないにしても、幕末に来日した欧米人の


多くは、資本主義が栄える自国の文明に自信をもっていたはずです。その文明は、「愛」という公


的倫理と、金儲けと労働を神聖な義務とする社会的イデオロギーが、背景にあって発展したもの


です。彼らは裸と猥褻表現の氾濫する日本に驚き呆れます。しかしその一方で、労働を聖なる義


務とする観念を知らない下層民が、「私ごと」としての仕事で、自発的に美しくかわいらしいものを


生み出し、満足して笑いながらくらしていることに驚嘆しました。今の日本国憲法には「労働の義


務」が掲げられています。(続く)