錦秋  格差は資本主義の本性

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 大雪高原温泉の続きです。


〔格差は資本主義の本性〕

 『近代による超克』の著者ハルトゥーニアンは、格差(この本の言葉では不均等)は資本主義に構造的に

組み込まれている、と考えています。資本は、近代化の遅れた地域(国内では地方、国際的には途上国)か

ら利潤を搾り取り、固有性を奪って疎外する。欧米でも日本でも、この趨勢に抵抗しようとする知識人た

ちが、さまざまな思想を産み出した、と言うのです。彼は、戦前日本文化人の言説を、固有性を強調する

日本的な視点でも、後進性を批判的にあげつらう欧米的植民地主義の視点でも見ていません。利潤第一主

義と周辺への疎外を振りまく近代資本主義に抗いながら、ファシズムに取り込まれる危険も避ける、これ

は世界のどの国にとっても緊急な現代的課題だ。彼はそう考えて、近代的な世界の同時代者である和辻、

九鬼、三木などなど、日本人の思想の軌跡をたどっているようです。

 読みながら考えました。最近注目されている所得格差は、日本だけの問題でも、バブル崩壊後の一時

的な問題でもない。80年代に先進諸国で顕著だった「総中流化」こそ一時的現象だったのかもしれな

い。格差問題解決には、現代資本主義をどう修正あるいは矯正するかという、大きな視点が必要なのでは

ないか、と。

 カンボジアポルポト派、中国の文化大革命は、資本主義を外から政治的に規制あるいは矯正しようと

して破綻しました。アルカイダも同じだと思います。ロシア化される前のマルクス主義は、資本主義によ

って産み出されたものが、内部から資本主義を食い破る、と考えました。しかし、プロレタリアートとい

う、生身の賃金労働者とはちがう抽象的なものに希望を託して、この思想は衰退してしまいました。で

も、内部からという考えは有効だと思います。わたしは現代資本主義が産み出した情報化とグローバル化

の行方に注目したいと考えています。