枯れ枝に咲く白い花 3
幌の冬は概して明るいのです。一日中どんよりとした空という日はあまりありません。写真を撮った日
も、午後は一瞬晴れました。遅くなって枝の雪が落ちたり解けたりする前にと、曇っている朝のうちに撮
ったので、モノクロみたいです。
今日もグールドの読書感想の続きです。
グールドが科学の宗教への侵犯を批判した文言を、パラグラフを無視して、強引に抜き出してみます。
科学は、道徳そのものの道徳性については、何もいうことができない。(74頁)
道徳や意味についての考え方が人それぞれ違うことを認め、自然の仕組みのなかに明確な解答を探
すのをやめるのだ。(187頁)
私が落胆させられるのは、一部の科学者たちが自分たちの私的な無神論を、「宗教」の馬鹿げた戯
画(修辞的な目的のためにでっち上げられた藁人形)にぶつけて、人間の進歩の万能薬だと宣伝して
いることだ(221頁)
グールドは宗教(わたしの言うB領域)を、科学とはちがう論理で、人に固有な道徳や意味づけを求める
ものと考えていて、「迷信、非合理主義、俗物根性、無知、教条、その他もろもろの、人間の知性への侮
辱」と、区別しているようです。そのようなものとしての宗教を、科学者は科学の論理で否定してはなら
ないと主張しています。しかし彼自身は科学者であって宗教の外の人間ですから、あるべき宗教がどのよ
うなものかは描きません。ただ、宗教の側にも科学に敬意を払い、侵犯を慎む潮流があり、それが成長し
ていると、指摘するだけです。
日本では宗教思想は曖昧に拡散していますが、欧米では強力な一大思想潮流としていまなお屹立してい
ます。特にアメリカでは、生物の種が太古から分岐を重ねて現在に至っているという科学の説明を認め
ず、すべての種を神が創造したという教義を信じる人の方が現在でも多数派です。ブッシュ大統領はイラ
ク侵攻を正当化するとき、神の正義に言及しています。彼はID説に共感していることをぽろっと洩らす
発言をしたこともあります。グールドはそういう宗教的迷妄が根強い社会に身をおいて、人間文明の存続
に危機が切迫していると、切実に感じている気配です。
科学は説得力ある道徳や意味づけを原理的に提供できないというのは、彼の本心でしょう。わたしがち
ょっと考えただけでも、どんな戦争なら必要悪として認められるのかなど、科学が結論を出せそうもない
問題をいくつも思いつきます。さらに、グールドはイスラム国家にも似た宗教国にいて、宗教を合理主義
で否定しても混乱が深まるだけで、社会の賢明な選択を促すことにはならない、という認識もあったと思
います。きっとその二つの理由から、科学も宗教もお互いの領域の進歩を妨げあうことなく、互いに敬意
を払って対話を進めるべきだという結論になったのです。ですから彼は、互いに相手の言葉に無関心に無
視しあうことも誤りだと主張しています。分離した上での統合が必要だと言うのです。(続く)