カヌー下り 6  戦前日本も格差社会

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 もう少しカヌーからの景色を続けるつもりでしたが、少し水に飽きてきました。明日からは丹頂鶴やノ

ロッコ号の映像に進みましょう。最後に内側から見る湿原風景で締めくくります。高台から俯瞰すると、

森林と草むらの高低差が定かではなく、平坦な原野が茫漠と広がる印象です。特にこれまは雨模様だった

り曇っていたりで、遠方がかすむ絵になりがちでした。この日は快晴の空の下で、台風後の珍しく高い川

面から望むことができたので、内部からの湿原景色を撮れました。


 『近代による超克 上・下』(ハリー・ハルトゥールニアン 梅森直之訳 岩波書店)に取り組んでいま

す。硬いテーマで少ししんどいけど、おもしろいですね。欧米人が書く日本史は、日ごろなじんだ景色に

ちがう色の光が当たるような印象があって、いろいろ考えさせられます。明治から第二次大戦までの、精

神史のようなものがテーマです。歴史年表を手元に置いて参照しながら読んでいます。

 改めて思い出したのですが、戦前の日本にはいまよりずっと深刻な社会格差があったのですね。明治後

期から大正にかけて、欧米的な文化がもてはやされる都市、特にホワイトカラー層。それに対して、江戸

時代の農民・小商い・手職と通底する窮乏を生きる農村住民や都市下層民。いたるところに存在する不均

等が、人々をを悩ませ、やがて欧米的近代を「超克」すべしとする、知識人・文化人の思想運動につなが

っていきます。それとともに、本来近代主義の側にあるはずの資本家たちも、表面上は軍部専制に従属

し、裏側では彼らと連携して、植民地主義的利潤の確保に努めるようになります。

 いま再び格差社会に入っているのだとすると、1980年代に頂点に達した中流化の波は、むしろ一時

的なものだったのかな。現在の文化は、経済的に隔てられつつある両方の層に、均質な民衆性(保守的な

文化人に言わせれば、無国籍で軽佻浮薄なポピュリズムかな)を及ぼしつつあるところは、かつてとちが

います。安倍さんが退いて、「戦前レジーム」へのノスタルジアが収まったように見えます。でも、格差

がさらに深刻になれば、戦前の軍国主義ファシズムとは同じではないにしても、なんらかの「近代」批判

とともに、幻の融和=「伝統」の復活強化を求める主張が再浮上することは、避けられないと思います。

そのとき、いま新自由主義を担ぎまわっている経済人のなかからも、骨のあるリベラリストが少数でも現

れてくれるといいのですが、どうでしょうか。