いにしえしのぶ秋の森

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 常呂遺跡の森はふしぎな雰囲気のある場所です。サロマ湖から徒歩で10分ほどで、森は広大とは言えず人

家も迫っているのに、歩いているうちに深山幽谷にいるような気分になります。巨木や蔦などの葉が茂り、現代を

思い出させる風景が目に入りにくいこともあるでしょう。それに木々が放つひときわ濃い芳香が、宗教嫌いのわた

しにさえ、何かを感じさせます。歩道が縦横に整備されているので薮に入ることも、舗装道路が近いので狭く荒れ

た林道で長く車に揺られることもなく、文明以前の自然を手軽に感じることができる、とても貴重な場所です。

 開拓が進む前は、現在の北見市街辺りからサロマ湖までの数十キロずっと、こんな森が連なっていたのでは

ないかと思います。秋の森はいたるところで堅果類、ヤマブドウ、キノコが目に付きます。さらにこのあたりはサロ

マ湖、常呂川河口、オホーツク海の魚介類が豊富で、狩猟採集の人々にはくらしやすい場所だったしょう。縄文

期からアイヌ期まで、入れ替わり立ち代り住みくらした痕跡があちこちで発見されているようです。動物にも恵み

が豊かだったのでしょう。今年の春もこの森に熊が来た痕跡がみつかり、しばらく立ち入り禁止になりました。

 遺跡の森は、復元されている竪穴住居と木々の調和が、とりわけすぐれているように思います。いにしえの人

々がこんなふうに集まってくらしていたと、自然に思えてきます。舌状の入り口が伸びた住居構造は、冬の寒気

を効果的に防ぐそうです。世界の狩猟採集文化のなかでも、縄文文化はとりわけ洗練されていたようです。東北

・北海道の縄文人は、多くの地域で普通だった一家族あるいは数家族単位の遊動生活から、多くの人々が一緒

にくらす定住生活に、いち早く移行したとされています。

 最終氷期が終わってからの北海道は、何度かの小氷期を除いて、自然の恵みとがとても豊かで、それを効果

的に利用する技術も進んだようです。だから本州北端まで農耕が届いたあと何百年も、狩猟採集を中心とするく

らしを続けました。アイヌ期に本州からの圧力で、階層化と戦争が波及したことが残念です。