森のキノコ
まりさん、ウチに来た職人さんの話では、入ってきた水滴が壁の内部や木組みを伝わって遠くで洩れたりする
ので、雨漏りの原因箇所をピンポイントで特定するのはとても難しいのだそうです。屋根と壁の両方を全体的に
補修すればだいじょうぶと言うけれど、お金がかかります。ウチでは漏った日の風向きをわたしが調べ、彼がそ
の方向の天井裏を覗いたり、内側から壁板を剥がしたりして、滲みの痕をたどりいくつか怪しい場所の見当をつ
け、塗装とコーキングは自分で、トタンは知り合いの屋根屋を呼んでやってくれました。
呼人半島の森歩きではたくさんのキノコを見ました。他の季節にも少しはあるけれど、やっぱり秋が季節です。
青っぽい燐光を放っているようなもの、気味悪い赤、網目模様、なじみの形でおいしそうなものなど、ほんとにさ
まざま。どれが食べられるか見分けられて、帰ったらキノコ鍋などというのだと、もっと楽しいのにね。
『銃・病原菌・鉄』上巻に、シャレド・ダイヤモンドがこんなエピソードを書いています。彼は33年間ニューギニ
アで生物の野外研究に従事しています。現在も野生の動植物を利用している現地フォレ族の人と出かけたとき、
他の部族に道を阻まれジャングルで食料が尽きてしまいました。同行したフォレ族の一人がリュックいっぱいキノ
コを見つけてきて焼いてくれますが、ダイヤモンドは毒キノコが混じっている可能性にちゅうちょし、現地の人を激
怒させてしまいました。「安全なキノコとそうでないものの区別がつけられないほど間抜けなのはアメリカ人だけ
なのに」と、彼は反省しています(212頁)。そして、「現代の石器人」のほうが産業社会の人々より知性が優れて
いる場合が多いと、書くようになります(26頁)。
彼が言うように、「誰もが狩猟採集生活をしていた時代の人々は、野生の動植物に関して今よりずっと詳細な
知識を持ち合わせていた」(213頁)にちがいありません。狩猟採集民から見たら、わたしなど大間抜けでしょう
ね。道でかがむだけでたくさん採れるおいしいキノコを目の前にしていたかもしれないのに、何一つ知らず手を出
せなかったのですから。