残雪の山々
まはチューリップが盛りです。ところで蛇イチゴのこと。子どものころ食べられないと聞きました。毒があるという
話もあります。越後の山村では道路脇や薮など、いたるところにキイチゴがあって、1,2回は口に入れました。
でも種が大きく実が少なかったので、甘いもののないあのころでも、それ以後食べようとはとはしませんでした。
今ではラズベリーとか呼ばれ、ジャムなどに加工されているようですね。しかしこちらで見かけても食べてみよう
という気にはなりません。食の好みには、子どものころの記憶の影響がおおきいみたい。
太陽の強い光に遠くの残雪の山々が浮かび上がっています。どの時季にも山を見るのは好きです。緑と岩と
雪渓の夏も紅葉の秋も。うっすら昇る噴煙は趣を添えます。でもそれらは近くで見てこそ。遠目だとやはり白い
山々。最後の一枚で目立つのは雄阿寒岳です。その前の一枚は知床連山。小清水展望台からはずいぶん離
れているのに、珍しくはっきり見えています。四枚目は斜里岳と海別岳(うなべつだけ)。
わたしたちは家畜になりたいのかな?
ライター規制が本決まりになりました。子どもが容易に点火できる百円ライター類の製造販売が禁止されると
か。ヨーロッパにはすでに実施されている国が多いと報道されていました。わたしは、このような規制に反対が起
きない「文明」(農牧以後のこと)、反対するとしたら業者だけという「文明」に、不気味なものを感じています。火
の使用はヒトがヒトである証の一つ、自然な進化の過程でヒトに備わった資質だと思います。日常のくらしのなか
で火をコントロールすることは、わたしたちがヒトであることの確認の一つではないのでしょうか。それを公権力の
管理に委ねることに何の疑問を感じなくなっている社会!
息子がマッチに興味を示したのは、、たしか3歳のとき。そのときわたしは、彼の指を掴んで石油ストーブの間
際まで近づけました。やけどしかねない熱さの感覚が、心の奥で火に対する警戒心になると思ったからです。そ
れに続けて、マッチの擦りかたを教えました。以後ずっと彼は、マッチを自由に使うことを許されましたが、一度も
危険なことはありませんでした。子どもに自分で火を管理する術と責任を教えるのは、まわりの大人の責任だと
思います。オムツを替えてやるのと同じくらいに、育児に含まれていなければならない事柄ではないか、と。
わたしが塾で教えていたころ、中学生に理科の実験をやらせていました。あるとき、アルコールランプに着火し
ようとして、擦ったマッチに指を焼かれそうになった生徒が、あわてて燃えさしを紙くず籠に放り込んだことがあり
ます。さいわい火事になる前に消すことができました。聞いてみたら彼は、それまで火に近づくことを一切禁じら
れていて、初めてマッチを擦ったのだそうです。これでは彼を責めることはできません。
狩猟採集の昔から、火は常にくらしの身近にありました。その制御の学習は、人になるためのだいじなステップ
として、ごく幼いころに行われたと思います。いわば人に備わった自然な能力の一部でした。それを子どもに禁じ
ようとする。人々が禁止を公権力に委ねることに疑問を感じない。家畜は自分の自然を人に管理され、利用さ
れ、作り変えられてきています。人が自分なかの自然を誰かの管理に委ねるということは、自ら家畜になるという
こと。他人が自分の気に入らないことをすると、お役所に管理と規制の強化を求める。そんな風潮が加速度的に
高まっているような気がします。自分の命や性さえも、メディアや制度などの他者に委ねることに抵抗感がなくな
っている。わたしたちは自然の生き物であることをやめ、自己家畜化を局限まで進めようとしている、最近そんな
不気味さを感じています。