少し色づいたサンゴソウ
20日にワッカ原生花園からの岐路、サンゴソウ(アッケシソウ)の様子を見ようと、卯原内の能取湖畔
に寄りました。見ごろにはまだまだですが、うっすらと赤みが。広い湖畔に、そぞろ歩きの観光客らしい
カップルが一組だけ。シーズンの賑わいがウソのようでした。あとの写真は美幌に近い高台から撮った網
走湖です。
リンデンさん、野菜だとあちこちに直販店や市場があって、地場ものが確実に安く買えるのですが、海
産物は若いころたびたび来て舌鼓を打っていたころに比べると、高くなっていますね。サンマや鮭鱒やタ
イはまだ、わたしも驚くような値段で店に出ることもあります。でも高級品、特にタラバの太い脚なんか
は、なかなか手を出せない値段です。乱獲で海の資源が乏しくなっているのと、保冷・冷凍・輸送技術の
発達で、鮮度を保ったまま都会のお金持ちに届けられるようになったせいでしょう。
ゆめラジさん、「母なるガイア」みたいな幻想が強いのだと思います。ある本によると、1970年
代から自然=いいもの、人工=わるいものという考え流行しはじめたとか。縄文時代だって、森を切り開
いて栗の木を植えたり、家の周りの雑草をむしって有用植物を増やしたりしました。ほぼ1万年前から農
耕・牧畜をはじめて、人間は環境を大改造しています。再生可能性を損なわない賢い改造と、文明を滅
ぼす愚かな改造があるのでしょうね。北海道なんかでは、人の手の入らない原生林は荒れていく速度が速
いと聞いたことがあります。スノーボール・アースも灼熱の白亜紀も、ヒトと無関係です。どちらかの
「自然」が再現しそうになったら、ヒトは全力で「自然」に干渉すべきだと思いますよ。
登山道がなければ普通の人は山のすばらしさを経験できません。でも、希少な高山植物を根こそぎにす
るなんて許せない。個人的な金儲けや趣味だけで、勝手に手を加えるべきではないですよ。自然のどこを
どんな風に保護し、どこにどう干渉しすべきなのか、広い長期的な視点で話し合っていかなければならな
いのだと思います。話し合えるような社会にしたいですね。
に寄りました。見ごろにはまだまだですが、うっすらと赤みが。広い湖畔に、そぞろ歩きの観光客らしい
カップルが一組だけ。シーズンの賑わいがウソのようでした。あとの写真は美幌に近い高台から撮った網
走湖です。
リンデンさん、野菜だとあちこちに直販店や市場があって、地場ものが確実に安く買えるのですが、海
産物は若いころたびたび来て舌鼓を打っていたころに比べると、高くなっていますね。サンマや鮭鱒やタ
イはまだ、わたしも驚くような値段で店に出ることもあります。でも高級品、特にタラバの太い脚なんか
は、なかなか手を出せない値段です。乱獲で海の資源が乏しくなっているのと、保冷・冷凍・輸送技術の
発達で、鮮度を保ったまま都会のお金持ちに届けられるようになったせいでしょう。
ゆめラジさん、「母なるガイア」みたいな幻想が強いのだと思います。ある本によると、1970年
代から自然=いいもの、人工=わるいものという考え流行しはじめたとか。縄文時代だって、森を切り開
いて栗の木を植えたり、家の周りの雑草をむしって有用植物を増やしたりしました。ほぼ1万年前から農
耕・牧畜をはじめて、人間は環境を大改造しています。再生可能性を損なわない賢い改造と、文明を滅
ぼす愚かな改造があるのでしょうね。北海道なんかでは、人の手の入らない原生林は荒れていく速度が速
いと聞いたことがあります。スノーボール・アースも灼熱の白亜紀も、ヒトと無関係です。どちらかの
「自然」が再現しそうになったら、ヒトは全力で「自然」に干渉すべきだと思いますよ。
登山道がなければ普通の人は山のすばらしさを経験できません。でも、希少な高山植物を根こそぎにす
るなんて許せない。個人的な金儲けや趣味だけで、勝手に手を加えるべきではないですよ。自然のどこを
どんな風に保護し、どこにどう干渉しすべきなのか、広い長期的な視点で話し合っていかなければならな
いのだと思います。話し合えるような社会にしたいですね。