林床の芽吹き ムダの効用 18

 タムラ、けっして派手ではないけれど、林のなかに広がるエゾエンゴサクにはしっとりした風情があるよね。残
 
念なのはその雰囲気を撮るウデがないこと。まあできるだけ工夫はしてみるけれど。
 
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 毎年のことなのに、林のなかで地面から頭を出している大きな草の尖った芽を見るたびに、驚きに似たさざ波
 
が胸を走ります。枯枝や朽葉に覆われた林床はわびしい。その単調さが、少しだけのあざやかな緑で打ち消さ
 
れます。生命のぬくもりを感じさせるみずみずしい色です。
 
 
                          〔ムダの効用〕
 
 18 「おばちゃんにありがとうは?」の社会(承前)
 

 少し前まではヒトの脳で重要なのは知能であって、感情は動物的で原始的なものとみなされる風潮が

りました。しかし最近は、情動(生理的反応を伴う一時的で激しい感情)を中心とする、感情や情緒の

重要性が注目されてきています。情動にかかわる主要な脳部位は大脳辺縁系
(帯状回扁桃体、海馬、視

床下部、側坐核など
)とされています。知能にかかわる大脳新皮質は、神経回路の形成が比較的ゆっくり

していて、その一部は成年期を過ぎても発達します。しかし情動系は、4歳くらいまでにほぼ形成が終

わり、その後は前頭前野によって反応の現われが修正されることはあっても、回路構造そのものはほと

んど再編されないようです。

 16章で言及した
VS.ラマチャンドランが、こんな例を挙げています(前掲書133138)。新皮

質の視覚野と辺縁系の結合が切れた患者は、自分の母親を見て、外見が母親に似ているとは判断できる

けれど、母親という感情が伴わないので、母親の偽者だと主張する。あるいは、視覚だけでなく他の感

覚も情動中枢から切り離された患者は、物も人も音も何もかも、その人の感情的にとって無意味なの

で、自分は死んでいるのだと確信する。そこまではいかなくても、辺縁系の一時的抑制や停止で、「こ

の世は現実ではない」
(現実喪失感)や「私は現実ではない」(離人症)という状態が現れる。わたしが思う

に、情動系が働かなくても、感覚器と新皮質の結合があれば、情報認知や論理判断はできます。ただそ

の場合、認知や判断に意味もリアリティーもなくなる、ということでしょう。

 ラマチャンドランは「感覚と知覚から情動的な意義や意味がすべて失われると、自己は解体します」と

言って、自己を形成する四つの部分を列挙しています
(同前142143)。そのなかの一つが自己の統一

性、自己は一つだという観念です。わたしは「おばちゃんにありがとうは?」から始まる一連の「しつけ」

が、子どもの脳で情動回路の形成を乱すのではないかと心配しています。自分の感情の代わりに他人の

満足や怒りで、認知や行動を意味づけるように訓練されるのですから。

 自分の体につながる欲求が満たされる喜びと、自分のふるまいに対する母親の満足を見る嬉しさ。体

の感覚が原因なっている恐怖と、まわりの人の緊張で誘発されたおびえ。それらは、扁桃体と前頭腹内

側部
(いわゆる社会脳)のどちらが起点になっているか、ドーパミンセロトニンのどちらが脳内に多く

分泌されているかなどで、本来は区別される情動反応でしょう。その区別があいまいになる育ちでは、

喜び、悲しみ、怒り、驚き、嫌悪、恐怖の主体としての、自己の統一性の感覚が損なわれるのではない

かと思います。

 そして、心のなかに隠さなければならない「原罪」を抱え込む
(前章参照)ことで、側坐核扁桃体

中核になる情動反応と、前頭前野による抑制との、葛藤が始まります。長く続けばきっと、情動系と前

頭葉の結合から生まれると考えられる自我、あるいは自己意識に、修復できない傷が刻まれます。

 「オレが一生懸命働いてお前らを食わせてやってるのがわからないのか
!」と怒鳴る父親。「誰がアンタ

の汚いオムツを替えてここまで大きくしてやったと思ってるのよ
!」と掻き口説く母親。「産んでくれと頼

んだ覚えはねーよ」と言い返したい。でも、「それを言ったらおしまい」と、うつむいてしまう。4歳ま

での「しつけ」がそんな効果をもってしまっていたら、確かな自己をもつ大人にはまずなれないでしょ

う。言ってしまえばきちんとグレることができたかもしれないのに。言わずにしまったのがおおかたの

「健全な」大人です。

 リトル・トリーは心に「原罪」を埋め込まれなかったから、院長の理不尽なムチ打ちにも、情動を感

覚から遮断する一時的な離人症を自分で作り出して、自己を防御できました。亀裂の入った自我は、精

神的なストレスに強く抵抗できません。ニイル以外にも、幼い子に自分を偽るように強制する教育が、

成人後の心の安定にどんなに有害であるかを説いた人はいます。しかし彼らは圧倒的な少数派です。な

ぜでしょうか。

 農耕牧畜と都市での集住が始まってからの約
1万年間、指揮統制されたさまざまな集団が覇権を競

い、
支配を拡大してきました。20世紀末から現在にかけて、狩猟採集に頼るヒトのくらしはほぼ絶滅

させられ、諸国家による地球全域の分割支配が最終段階に入っています。この1万年間、他人に意思を

預けることを拒む強い自我をもつ人は、指揮統制する権力にとって厄介者でした。現代なら例えば、政

府や警察に逆らう国民、将軍や上官の命令に異を唱える兵士、社長や上役の指示に従わない会社員、な

ど。

 異文化を征服し支配しようとすれば、先住民の自尊感情を打ち砕くことから始めなくてはなりませ

ん。被征服民差別は避けられないことでした。それで屈服しない相手は殺戮の対象です。支配すべき相

手を殺し尽くせば権力が無意味になりますから、幼いころから「ありがとうは?」と教え続ける教育が必

要になります。たとえ心の病を増加させるという代償を支払っても。被支配者の心のなかの「原罪」

が、優越者への屈服を内面化させるテコとして掘り起こされます。アメリカ・インディアンは奴隷化に

適していなかったようです。
一つの理由は白人がもたらした病原体に免疫がなかったこと。そしてその

他に、付け込む手がかりとなる自我の亀裂を見つけにくかったこともあると思います。
(続く)