林道を抜けて

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 9月21日、黒岳からの帰り道で十勝を回り上士幌の手前で林道に入りました。まだ盛りには早いけれ

ど、それでも車の脇を色づいた木々が次々に飛び去ります。時々車を停めてもらったり脇道に入ったりし

て赤や黄色を撮りました。林道が終わりに近づいたところでは小さな滝も。森を抜けると置戸湖で、湖畔

の公園の片隅に白鳥のオブジェを飾った小屋があります。


                  〔ムダの効用〕

 5 カネになればムダじゃない?(承前)

 普通は悲しいから涙が出ると思われているが、実は涙が出るから悲しくなる、著者も文献名も覚えてい

ませんが、脳についての何かの本で、そういう意味の文を見た記憶があります。ひとたび涙が堰を切ると

止まらなくなる経験はわたしにもあります。はじめの一滴が悲しみを意識した結果なのか、意識する間の

ない無意識な反応なのかはわかりません。しかし、溢れる涙が悲しみの意識を強め、その意識が次の涙を

誘ったというのは、納得できるような気がします。

 その本で著者は、心のありよう(精神活動)には無意識の神経作用の役割が大きい、と言いたかつたのだ

と記憶しています。意識以前の情動で活性化された脳神経系が涙腺に信号を送り、流れ出る涙が悲しみを

意識させるプロセスが脳内にある、と。映画やドラマを通じて、わたしはアメリカの民衆文化についてこ

んな印象をもっています:人の行為を意図した結果と割り切って、ややこしい無意識などには深入りした

くない。ものごとをシンプルに考えたい、という傾向が、他の国より少し強い。だからブッシュ元大統領

の、善悪二元論に基づく「悪の枢軸」説が、一時はおおいに盛り上がった。

 古典経済学を単純化した経済理論は、利益を求めれば価格変動の理由を合理的に考えなくてはならない

ので、市場価格はけっきょく需給関係を正しく反映するところに落ち着く、という類の考えにこだわるよ

うです。だから、外的要因がもたらす混乱を防ぐために不正な取引を規制する以外の、市場に対する国家

の過剰干渉は有害である、と。しかしそれでは、市場が最も自由化されていたアメリカでバブルが発生し

破裂した理由を説明できません。

 わたしが思うに、この理論が、アメリカンドリームへの憧れを残す民衆感情と共鳴して、当期利益を伸

ばした経営者が得る巨額報酬を社会的に容認させる結果になりました。そして経営幹部はこの風潮のなか

で、無意識のうちに、不動産価格、債権、株価の高騰の背後で進むバブルから目を逸らしました。破綻し

たのは、一部で言われているように彼らが強欲だったからではなく、冷静な意識による合理的判断を偏向

させる力が働いたからです。

 G.スティックスは、「日経サイエンス」09年10月号の「バブル崩壊を心の科学で読み解く」と題

された記事のなかで、行動経済学の実験で繰り返し確かめられた、次のような例に触れています:100

0万ドルもうけた後に800万ドル失うのは、ゼロから200万ドルもうけるのと結果は同じなのに、人

は得た200万ドルを喜ぶより、失った800万ドルを気にする。これは、蓄えた食物を奪われまいと用

心するように動物が進化したからだ、と。人の脳には、数百万年続いた狩漁採集の小集団では適応的で

も、数十年で急激にグローバル化した現代社会ではバイアス(判断を偏向させる要素)となる機能が残って

いるのが自然です。

 G.スティックスは、脳内の前頭前野腹内側部、扁桃体側坐核などとの関連を示唆して註、次のよう

なバイアスを列挙しています:「貨幣錯覚」=貨幣価値の実質下落を忘れさせ、不動産価値などが購入時の

ままと思わせる。「可用性バイアス」=長期的な分析より直近の情報にとらわれる。「確証バイアス」=自分

の見方を裏付ける情報を過信する。

 ことさら行動経済学(脳科学や行動心理学を経済学に応用した学問分野)を持ち出さなくても、冷静に他

人の行動を観察したり、過去の自分の失敗を反省したりしているときには、誰にでもそういうことがある

と思い当たります。それなのに、渦中にあるホットな頭は、また同じ判断ミスを繰り返します。人はいつ

も合理的な経済行動をする存在(ホモ・エコノミクス)ではなく、合理的な判断を偏向させる自然なバイ

アスを脳に抱えた存在なのでしょう。

 個と全体の矛盾に直面して個を優先する理屈を思いつくのも、脳の自然です。投資家や経営者は、自分

が手にする巨額報酬への後ろめたさを打ち消してくれる理論を合理的だと思いやすいでしょう。しかし、

バブルが破綻して生じた、人々が所有する財の価値の大暴落は、社会全体にとって大きなムダです。個人

にとって自然な行動が、集積された全体としては大きなムダにつながりました。

 住宅バブルの最盛期の金融会社に、住宅関連証券化商品に投資するリスクを指摘した社員がいれば、そ

の人は巨額な損失―避けられたはずのムダ―を防ごうとしたのだから、とても役に立つはずの社員だった

ことになります。後知恵としては誰でも同意するでしょう。でも当時はきっと、当期利益を最大化しよう

と熱くなっていた幹部に、ムダな社員として解雇される危険があったと思います。

 日本の電力産業の経営幹部は、利己的な動機から二酸化炭素排出削減目標強化に反対している、とは認

めないでしょう。日本経済の競争力を護るため、ひいては日本国民の経済的利益のため、と信じていると

思います。しかし彼らの職務は会社の利益を護ることです。この職務遂行での成功が彼らの地位や報酬の

維持・向上につながります。火力や原子力の既存施設・装置に投じられた巨額の投資がムダになることへ

の強い恐怖心が、他社に先んじる自然エネルギー開発で会社と地球住民が将来大きな利益を得るという判

断を圧倒するのも、まあ当然ということです。

 何がムダで何が役に立つかの人々の判断が、本人には意識できないバイアスによって影響されているか

もしれない、そういう可能性はいつも意識していた方がいいと思います。

註 G.スティックスは脳機能局在説を疑っていないようですが、例えば、藤井直敬『つながる脳』(N

TT出版)のような、脳内回路ネットワークの動的パターンの方をより重視する新しい説もあります。わ

たしはこちらの方に説得力を感じます。