船と湖

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 晩秋の女満別湖畔にはたくさんの船が浮かんでいました。湖面が凍結する前に漁を急ぎ、湖底の浚渫を

終わらせようとしているのでしょうか。


 本田透の『萌える男』(ちくま新書)を読みました。本田はオタク文化、なかでもキャラクター・グッズ

とバーチャル世界に耽溺する「萌え」男を擁護し、彼らの社会的貢献の可能性を説いたりもしています。

根拠にもとづいて論理的推論を重ねるという類のものでなく、独断と妄想的な期待感を全開にした論で

す。にもかかわらず、自分の知らない世界をちょっと覗いたようでおもしろかった。そして、彼らとわた

しの精神世界に地続きの部分があるとも思いました。

 本田は国家や革命を求める共同体主義は時代から捨てられ、私的な救いとしての純愛や家族も破綻した

後に、資本主義市場で商品になった恋愛からも排除された者として、自己規定しているようです。「萌え

男」は、現実世界には自分の揺れる自我を支えてくれるものはないと断念し、映像やグッズのなかの「純

愛」や「家族」にそれを求めていると、言いたいのでしょう。わたしの場合はバーチャル映像やグッズで

はなく、言語化された観念が手段です。いまだ形になっていないものを求める点では、似ているところが

あるのかな、と。ただ、「純愛」や「家族」を理想化する懐古趣味はわたしにありません。

 養老孟司が唱えた唯脳論、世界の脳化説を思い出しました。確かにわたしたちはヒトの脳が主導して加

工した物に囲まれています。社会制度は協定されたフィクションとも考えられ、人と人との情緒的関係は

幻想に彩られています。生理的感覚さえ共同的な幻想に同致して変容しています。それでもわたしは、

「脳化」の進展を嘆くより、むしろ積極的に評価しています。その一方で、包囲してくる人工物や煩雑な

制度や対人関係の過剰な情緒に食傷している、という自覚もあります。

 わたしの場合、宇宙や極微の世界への科学的興味と、人の加工が及ばない要素を残す、大地の起伏、水

の諸相、動植物の姿などの観賞が、バーチャルとリアルのバランスをとっているのかな、そんな気がしま

す。本田さんたちは、ヒトと無縁な客観的実在や、文明の前にも後にも在り続ける景観・生き物に向かう

心の回路を、遮断している(させられている)のでしょうか。