クシロハナシノブとフタマタイチゲ
霧多布湿原の湿原センター下木道に咲いていた青い花はクシロハナシノブ。エゾハナシノブの湿原型だ
そうです。白はフタマタイチゲ。6が24日にはともに終わりかけていました。盛りのワタスゲや咲きは
じめのゼンテイカは他でもよく見かけますが、この二つは今までここでしか見ていません。
養老孟司がある本の書評(「科学」09年6月号掲載)で、脳の中では絶対音感と言語が競合関係にあるの
ではないか、という意味のことを書いています。動物やヒトの赤ちゃんには絶対音感がある。そして動物
は言語をもたず、ヒトは言語を獲得するとふつうは絶対音感を失う。音程がちがえば別の言葉だと認識し
たのでは、言語能力が育たない、などが指摘されています。
確かに音声言語は、音程・音色などの違いを無視して、音素のつながりだけに一般化するところで成立
します。ヒトの脳では、たくさんの特徴のなかのあるものに着目し、カテゴリーを作って般化(一般化)す
る部分が発達しています。般化能力はカテゴリーを操作する知能の基礎です。一枚の枯葉、一つの小石、
ひとさじの砂糖はあくまで別物であるとしか認識できなければ、1という概念は得られません。数学は不
可能です。
音楽、絵画などの芸術は、複数の特徴を組み合わせて固有性を表現しようとしますから、般化に抵抗が
あります。わたしたちの脳には芸術に反応できる回路もあります。それは情動回路とつながりが深いよう
です。脳内に競合関係にあるさまざまな機能が同居していて、そのどれが強いか弱いかが、個性になって
いるのでしょう。しかし、どれかに極端に偏ってしまうと、高機能自閉症の人のように、生きていくのに
不便です。
特定の機能だけを強化する教育は両刃の剣です。ある領域ですぐれた人材を育てることはできても、人
生や社会を生きづらくするかもしれません。養老孟司は、いまの日本の学校教育が知育に偏ってきている
と心配しています。カテゴリー化が行き過ぎると、人と人の共存関係が失われます。
そうです。白はフタマタイチゲ。6が24日にはともに終わりかけていました。盛りのワタスゲや咲きは
じめのゼンテイカは他でもよく見かけますが、この二つは今までここでしか見ていません。
養老孟司がある本の書評(「科学」09年6月号掲載)で、脳の中では絶対音感と言語が競合関係にあるの
ではないか、という意味のことを書いています。動物やヒトの赤ちゃんには絶対音感がある。そして動物
は言語をもたず、ヒトは言語を獲得するとふつうは絶対音感を失う。音程がちがえば別の言葉だと認識し
たのでは、言語能力が育たない、などが指摘されています。
確かに音声言語は、音程・音色などの違いを無視して、音素のつながりだけに一般化するところで成立
します。ヒトの脳では、たくさんの特徴のなかのあるものに着目し、カテゴリーを作って般化(一般化)す
る部分が発達しています。般化能力はカテゴリーを操作する知能の基礎です。一枚の枯葉、一つの小石、
ひとさじの砂糖はあくまで別物であるとしか認識できなければ、1という概念は得られません。数学は不
可能です。
音楽、絵画などの芸術は、複数の特徴を組み合わせて固有性を表現しようとしますから、般化に抵抗が
あります。わたしたちの脳には芸術に反応できる回路もあります。それは情動回路とつながりが深いよう
です。脳内に競合関係にあるさまざまな機能が同居していて、そのどれが強いか弱いかが、個性になって
いるのでしょう。しかし、どれかに極端に偏ってしまうと、高機能自閉症の人のように、生きていくのに
不便です。
特定の機能だけを強化する教育は両刃の剣です。ある領域ですぐれた人材を育てることはできても、人
生や社会を生きづらくするかもしれません。養老孟司は、いまの日本の学校教育が知育に偏ってきている
と心配しています。カテゴリー化が行き過ぎると、人と人の共存関係が失われます。