魚無川沿いの遊歩道を歩きました

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第一部
 役場の人に連れていってもらって、魚無川沿いの遊歩道を歩きました。一周40分のコースだそうです。ゴミ一つなくトイレもあって、気持ちのいいコースです。町じゅうで見かけるツツジの並木もありました。町の花でエゾムラサキツツジというのだそうです。桜が咲いたらまた行きます。山桜ではなく花が咲いてから葉が出る種類のようです。町の他のところにも桜の名所はあるそうですが、ここもうっとりするような光景になるでしょう。名前を知らない青い花水芭蕉、山吹が咲いて、人家の石垣には芝桜が満開でした。白い雲を浮かべた空に見とれました。空気がきれいなので鮮やかなのですね。

第二部
               温暖化ー最終回

〔わたしたちにできること〕
 国の政治や経済の指導的立場とは無縁なわたしたちに何ができるか考えよう。

一、政策を監視し、選挙に反映させる。企業を監視し、投資や購買に反映させる。
 以下の政策を推進する政党に投票する。そういう政党がないときは、身近な立候補者に提言する。反対する企業の株や商品を買わない。クリーン化技術の開発に大きな投資をし、環境対策にビジネス・チャンスを求める企業を応援する。
 (1)排出権取引
  全世界で一年に化石燃料から排出される二酸化炭素量は約66億トン。64億人で割ると約1トンにな  る。ちなみにヒト一人の呼吸で出る量は0.365トンである。50%削減すると、一人当たり約0.5トン。こ の数字に人口をかけたものが原理的には一国の割当量になる。日本は約0.64トン。今実際はどのくらい だろう。適切な数字は見つからなかったが、4億トンを下回ることはなさそうだ。化石燃料からの排出 量がほとんどゼロの国も、それどころか呼吸排出量も少なくなっている国さえある。国内でも、化石燃 料を大量に消費したり、化石燃料で生産された商品を大量に消費したりする企業や個人も、あまり消費 しない個人もある。今まで先進国は途上国の、企業は貧しい国民の、排出権を無償で消費してきたので ある。
  一人当たり0.5トンの排出権を認めた上で、途上国への経済援助を余剰排出権買取りに変える。その 上で、国内外の企業に化石燃料消費施設のクリーン化技術や設備を供与して削減される排出量を、供与 した企業の排出権に算入する。割り当てを下回った自社の排出権を金銭で売却することもできるように する。排出権をこのように原理的に理解したうえで、その売買や取引を促進するような法を整備する。
 (2)炭素税
  産業活動による二酸化炭素に排出量に応じた炭素税(環境税)を賦課する。その収入をクリーン化技術 の開発・普及に充てる政策と、その収入の分だけ、たとえば社会保障費の企業負担軽減などに充てる  (中立課税)政策とが考えられる。ドイツは後者の方法で企業の人件費負担を軽減し、雇用増出に成功し たという。炭素税の化石燃料使用削減効果を疑問視する意見もあるが、昨今の原油高でアメリカでも日 本でもガソリン使用量が減ったと報道されている。ガソリン価格高騰は、ブッシュ大統領にさえ、エタ ノール燃料開発促進を表明させる効果があった(06年一般教書演説)。
 (3)固定価格買取り制度
  ヨーロッパの多くの国が採用している制度で、電力会社に自然エネルギーで生産した電力を高い価格 で買い取るように義務付けるものである。ドイツではこの制度の導入で、風力発電が13年間で130倍に なったという。

二、温暖化対策に役立つ市民活動を応援する。
 NPO法人・環境エネルギー政策研究所の活動の一環に、市民出資による風力発電の研究調査がある。五年前に北海道浜頓別町で始まり、現在は建設中を含め全国で10基になるという(06・3・28朝日新聞)。
 グリーン購入ネットワーク(GPN)は、「環境への負荷が少ない製品やサービスの優先的購入を進める全国ネットワーク」(GPNホームページから)である。
 未来バンク事業組合は、市民の出資金を環境、福祉、市民事業に、金利3%で融資している(06・3・28朝日新聞)。事業組合のネット上の告示によれば、05年5月時点の組合員は約400人、出資金総額は1億5千200万円である。
 エコ事業を展開している市民団体は他にもある。自分で調べて、信頼できて共感できると思えば、出資したり活動に加わったりすることもできる。

三、地方自治体はできることを工夫する。
 地方の人の預金が、吸い上げられて中央の金融機関に集められ、首都圏に拠点をおく企業に流れる。作り出された雇用機会が地方から若い有能な人材を吸引する。人口減少に悩む地方の自治体は、この循環に風穴を開けることを考えたい。自然エネルギーの開発は都会より地方が有利である。自然エネルギー事業でうまく配当を出せるように工夫できれば、地方の資金で地方に雇用を創出できる。二でとりあげたような市民活動団体との連携も視野に入れたほうがいい。

 〔新しい価値観への期待〕
 温暖化問題をつきつめていくと、ヒトの文明とか人の人生とかをどう考えるかという、根本的な問題に行き着く気がする。ブッシュのアメリカとヨーロッパの、温暖化対策への温度差もそうだ。一方は、優勝劣敗を経済活力の維持のために不可欠なものとみなし、経済効率向上にもっとも効果がある資本主義システムに信頼を寄せる。もう一方は、資本のローラーに押しつぶされる個人の不幸により深い関心を向ける。後者のなかにも二つの方向がある。一つは西欧的近代個人主義を肯定した上で、近代的個人の暮らしをできるだけ均等に拡大する共同社会の機能を重視する。もう一つは、西欧近代に疑問をもち、非西欧世界の土着の共同性に着目する。三つのうちのどれを重視しても、一つだけの単純な選択は愚かしい。折衷的な新しい思想が必要になる。どのようなものになるにせよ、「人がだいじ」という価値観が根底になくてはならない。ブッシュやビンラデンや日本の保守主義者の一部のように、人よりも神がだいじ、国民より国がだいじと思えば、たぶん温暖化などにはあまり関心が向かない。何より人がだいじと思えば、どこまで暴走するかわからない気候変動が怖くなる。
 温暖化問題は前世紀に世界を席巻した資本主義化の波に疑問符をつける。何千万年・何億年もかけて地下に固定された炭素を、百年・二百年の短時間で一挙に空気中に戻したら、気候システムが急変動するのは当然ではないのか? 太陽エネルギーのストックにではなくフローに頼る文明への転換が、経済効率至上主義から自動的に生まれるのか?       
 西欧的個人主義化もまた壁に突き当たった。自由競争にまい進し、個人の「自立」を説くだけの社会は、民族間や階層間の対立を激化させ、精神病理を深化させるのではないか。バングラディシュは現在の化石燃料消費による温暖化に最も責任が小さい国の一つだが、生活に満足している国民の割合は、調査された国のなかでは最も高い。西欧化されていない共同生活が広く、それなりに安定して、残っているからだろう。北欧にも比較的満足度の高い国があるが、こちらは近代的個人の暮らしの平等な保障を重視した結果だと思われる。だが、バングラディシュは予想される大災害に無力であり、北欧にも格差と精神病理の波は打ち寄せている。
 たぶん、うまく世界が温暖化対策に成功したら、後世の人々は21世紀を、自立した個人間の自由競争と、充実した社会福祉と、物の豊かさより人の共同を楽しむ価値観の、三つが融合した新しい思想が誕生した時代、と見なすようになるのだろう。そうでなければヒトはきっと気候変動に負ける。

 次回からは稿を改め、北欧的行きかたの代表として、フィンランドを見ていく。