ツツジの町

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第一部
 いま美幌はツツジの町です。このところ急に暖かくなって、午後4時半現在寒暖計は25度を示しています。午前中町のコートへテニスに行ったんですが、途中の家々の庭にたいてい写真のようなツツジが咲いていました。ウチの両隣も同じです。もうすぐ桜が咲くでしょう。この辺だとエゾヤマザクラでしょうか。きっと一段と華やかになります。

第二部         
             温暖化 4

 〔温暖化対策推進の足枷〕
 温暖化という言葉がたくさんの人の耳に届くようになってから、産業と自動車の燃費を向上させる技術革新、家庭の消費エネルギー節約と廃棄物の減量を説くだけなら、反対する人はほとんどいなくなった。だが削減しなければならない排出二酸化炭素は50%で、日本や欧米は60から80%である。化石燃料消費で現在一人平均1トン出す二酸化炭素(炭素換算)を0.5トンにするには、日本は75から85%削減しなければならないという試算がある(06・3・3朝日環境フォーラムでの枝廣淳子の発言)。アイドリング・ストップのような善意の個人の行為や、企業の自発的な技術開発に頼って達成できる規模ではない。環境税排出権取引、電力会社に自然エネルギーによる電力を高価格で買い取らせ送電設備費を負担させる政策、太陽光・風力・地熱・潮力・バイオなど、再生可能エネルギーの研究開発と普及への大胆な公費支出など、経済的・社会的・行政的な誘導や強制が必要だ。
 アイスランドフィンランドの先行的な努力もあって、ヨーロッパはそういう方向に進んでいる。ほとんどの国が何らかの環境税を実施していて、生ゴミの完全コンポスト化を達成した国もある。排出権取引も盛んになった。国家的なレベルでは日米はずっと遅れている。環境庁が計画しているごく控えめな環境税構想にも、排出権取引の前提となる企業への排出量割り当てにも、経済指導者の大勢(経済同友会には、ちがう意見の人も少なくない)と経済産業省の役人、そしてその後押しをする政治家は猛反対だ。
 東京電力副社長の桝本晃章氏は次のように発言している(朝日新聞 03・12・8)。「経団連環境税に反対だ。その前に国民への教育など取り組むことがあるだろう。(中略)(環境省の案ではー引用者)石油産業の経常利益が全部、税金にとられることになる。国際競争力にも影響が出る。」日本商工会議所山口信夫会頭は京都議定書について、「米国が離脱し、中国などの成長国も参加しない取り決めは実効が上がるかきわめて疑問」と言う (朝日新聞 04・10・1) 。日本鉄鋼連盟専務理事の市川祐三氏はこうだ(朝日新聞 05・2・11)。「企業ごとに排出量を割り当てることを前提にした排出量取引には賛成できない。排出量割り当ては、国家が企業の生産量を決めることと同義だ。統制経済が機能しないことは歴史が証明している。(中略)また環境税も、効果の点で疑問が残る。」市川氏は、これらの制度が導入されればスラブを中国から輸入することになるとして、こう続ける。「しかし、中国鉄鋼業の単位あたりのエネルギー消費量は日本の1.5倍で、結果的に地球温暖化問題の解決に逆行することになる。(中略)温室効果ガスの削減には、省エネを国民運動として盛り上げていく必要がある。(中略)一人ひとりの生活スタイル、意識を変えていくためにもNPOなどの役割も一層、重要になるだろう。」
 企業利益や国際競争力への影響、京都議定書への米国や中国など途上国の不参加、効果への疑問などを反対の理由にしている。彼らが強調するのは、国民への教育、国民の省エネ、生活スタイルや意識の変革である。
 市川氏は御自分で牛乳の紙パックを開いて、洗って、乾かして、束ねているのだろうか。毎日生ゴミコンポストにあけて、ゴミ容器にこびりついた汚れを洗っているのだろうか。ゴミを収集する人が,「あんた、もっとちゃんと分別して、」と言ったら、わたしも素直に「はい」と返事をする。運転手付の車で送り迎えされる人に、アイドリング・ストップをやれ、と説かれたら、わたしはむっとする。青に変わった信号の前でエンストするかもしれない車を転がしていたこともあるから。  
 市川氏に、自分で手を汚してこまごました省エネをやれと言っているわけではない。そんなことをしたら、ただでさえ忙しい氏の仕事に差し障る。指導者には広い視野から20年30年先までの長期的な見通しをもって、計画立案する責任がある。排出権取引環境税に反対し、鉄鋼業のシェアをあくまで守ると言うのなら、それではどうやって日本の二酸化炭素排出量を70%削減するのか、経済界の政策を語ってほしい。鉄鋼を売るより、先進的なクリーン技術を開発してそれを売る商売を計画してほしい。ストックではなくフローに依存する経済社会への転換に資本を投資して、ペイする行き方を研究してほしい。アイスランドフィンランドは、環境対策を重視しても経済競争力を損なうことはなかった。お互い、自分の立場では何ができるのか、それを考えるべきだ。米国や途上国の京都議定書不参加、国際競争力、国民への教育などを理由に、環境政策の各論に反対するだけで、50年後100年後の日本国民の暮らしを安全にする対案を出さないのでは、指導者として怠慢だ。脱産業化の大転換が進行しているのに、前世紀のパラダイムにとらわれたままの指導者は、温暖化対策推進の足枷になる。