ベニヒワをもう一回  ネット空間の公共性

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 タムラのコメントに励まされ、最後にもう一回ベニヒワをアップします。


 ようやく流氷先端の舌みたいな部分が知床半島に届いたようです。流氷初日の宣言は3日でしたが、網

走からは25キロ先に白い線が見える程度でしょう。


         〔パブリック空間としてのインターネット〕

 「基本的に人は善良で親切だ」に対する20代の人の肯定的な答は、フィンランドで7割、韓国で6割

弱なのに、日本は男性31%女性37%。そういう数字を見ました(「日経サイエンス」08年12月号

茂木健一郎と木村忠正の対談)。また同じ調査で、日本の若者には、まだ起こっていないことに対する漠

然とした不安が非常に強かった、とも語られています。   

 社会的不信感と漠然とした不安感が強いので、日本ではインターネットがプライベート中心になってい

ると、二人は話し合っていました。仕事、生活、社会問題などの空間としては拡大せず、日記文化や「お

たく」的な関心の世界になっている。個人的ないじめ、悪口、根拠のない誹謗中傷なども多い、と。「イ

ンターネット空間というものはパブリックなものか、プライベートなものか」という問いでパブリックと

答えた割合は、フィンランドが男女とも8割以上で日本の男性は38.6%だったとか。

 遺伝子診断、ICタグ、拡大するサイバー空間などによる情報化には、セキュリティーやプライバシー

侵害・国家管理強化の不安を含む、さまざまな問題があります。それでもわたしは基本的には情報化を

積極評価しています。ヒトをヒトたらしめる知能の階層的制約が打ち破られ、集団知が前進することで、

経済・社会・政治が大きく変わると期待しているからです。しかし、IT技術の進歩、情報システムの整

備が、自動的に社会を前進させるわけではありません。人々が相互不信に陥り、根拠のない不安にすくん

でいれば、仕事や生活を革新し、オープンな社会的・政治的連携を組織する道具としての利用が停滞しま

す。個人の毒を吐き出す実りのないオモチャに矮小化されてしまいます。

 ネットで結ばれたデジタル空間にパブリックな領域を拡大する努力が必要です。情報化を進めたフィン

ランドの効率的な経済と、それに連動する高度社会保障。大統領選でのオバマ陣営によるインターネット

の活用。こういう動きに遅れをとったら、わたしたちの社会の将来に希望がなくなります。しかし日本で

も、若者の30%以上が社会を信頼し、インターネットの公共性を認識しています。新しいものが16%

を超えて普及したら、変化が加速し、社会全体が変わりはじめるとも言われています。デジタルネイティ

ブスの今後に期待したいと思います。