フィンランド・モデルは好きになれますか 27

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第一部
 このところ涼しくて、肌寒さを感じることもあります。美幌の短い夏はもう終わりかな。けっきょくクーラーが恋しい日は10日くらいでした。
 4・5日前、魚無川ぞいのせせらぎ公園とその周辺を歩き回りました。いくつか興味を引くものがあり、写真もかなり撮りましたので、毎回少しずつ載せます。まずはチョウセンゴミシの赤い実です。

 第二部
         フィンランド・モデルは好きになれますか 27

4 福祉と経済

(1) 社会保障の経済効果(承前)

大きな政府と小さな政府〕
 医療・ケア・教育も情報・サービス産業の一分野である。フィンランドでは教育と保育所はほとんど公営であり、医療・介護では公営が民間と競合している。民営を利用しても支払いは公的に補償される。補償は高所得者には薄く低所得者には厚い。国民が税や公的保険料を支払って、主としてそこからこのサービス分野に支出される。需要があるから、女性を中心とするこの分野の雇用水準が保たれる。勤労所得があるから税や公的保険料を負担できる。高度社会保障が医療・介護の需要水準を高く保つので、このサービス産業は豊富なノウ・ハウや高度なシステムを蓄積しやすい。国外からの見学・研修者が増え、システム輸出の機会もできる。
 日本ではこれまで医療は公的保障が中心だったが、財政再建大義名分に、個人負担を拡大している。そのため低所得者が受診を控えるようになった。介護も民営化されている。保育にも同じ流れが強くなってきた。社会保障は公営保険制度だ。社会保障支出は単なる経費なのではなく、医療・ケアという産業を潤す水源なのである。いま日本は、税や保険料を上げ社会保障給付を削減している。商品を値上げして中身を減らすようなものだ。いくら納付を強制しようとしても、不払いが増えるのは当然だ。政府・自治体の保障が機能不全になれば、これらの産業に流れ込む水源がやせる。
 アメリカでは医療保険の中心は民間企業である。医療・ケアも民間が主力だ。それでもこの国の医薬産業は盛んで、世界中から医療システムや薬品の代金とすぐれた人材を吸収している。日本もこれに倣(なら)えばいいという意見があるかもしれない。だがアメリカ国民の所得格差は半端ではない。中層以上で民間保険に入っている人は高度医療の恩恵を受けられるが、低所得層には医療もケアも受けられない人が多い。それでも、日本とちがって民間の自発的な所得再配分(寄付、慈善)の規模が大きいから、救済される人もいる。この国はグローバル市場での支配力が強く、経済規模がけた外れに大きい。低所得層の需要に頼らなくても経済を保てる。だからいまのところ、「小さな政府」でも経済は何とかなっていて、政府はグローバル市場支配を政治的・軍事的支える仕事に専念できる。
 日本は少数の富裕層より広範な中間層が経済を支える力になっていた。ところが最近は、中間層が分解し低所得層が増えている。富裕層の自発的な所得再配分を促すシステムもモラルもない。二極化した下層の情報・サービス需要が細くなれば、経済構造転換が減速する。経済構造転換に失敗したら、日本はグローバル市場で敗者になる。格差拡大と経済衰退による不満がつのり、すぐれた頭脳と富の海外流出がさかんになると、政治的・軍事的大国主義がはびこり、個人としての個人の領域が狭い窮屈な社会になる。破滅への道。
 旧社会主義諸国は公営事業中心の、極端な「大きな政府」だった。ソ連圏の崩壊以後、公営=非効率という神話ができあがった。だが、フィンランドは教育、社会保険社会福祉が基本的には公営である。この国の経済成功は神話を検証する手がかりになる。フィンランド保育所(幼稚園も保育所に統合されている)は公営だが、消費者は公費補償をもらって、民間保育サービスや家庭保育を選ぶこともできる。高齢者介護も公営施設、民間施設、在宅から選択できる。教育でも、学校は自主権限を許されて特色を競い合っている。その成果が報道され、生徒と親は自由に学校を選択する。社会保険の実務は民間保険会社の担当である。社会保障は公営でも、ユーザーの選択と、それにともなう官民サービス業者の競争が、推奨されている。公は序列意識をともなわない、いわば同格者の対等な契約で成り立つ空間のようなもので、腐敗・非効率はこの場から厳しく排除されている。
 旧社会主義諸国では、事業が官に独占されていて、競争がなかった。常に需要が供給を上回り、供給には利便供与のニュアンスがある。こういうシステムは腐敗の温床になる。「計画経済」では資源配分が、ユーザーの消費動向に対応せず上意下達で決まるので、非効率的だ。腐敗と非効率性が社会主義経済を破綻させたのである。フィンランドの実例から、大きな政府でも、腐敗がなくユーザーの直接反応で伸縮する柔軟なシステムであれば、非効率性から免れることができるとわかる。
(この項続く)