いじめ自殺とスタンフォード監獄実験

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 写真は晩秋の屈斜路湖


 学校でのいじめによる自殺は、1980年代から世間の注目を引きはじめた現象だ。このころ林竹二

が、「本当は自殺ではなく、彼らは狂った教育環境の犠牲者だ」と、痛切な怒りの声を上げた(『教育亡

国』筑摩書房)。彼の叫びも空しく、90年代には子どもの自殺が一層増えた。その後しばらくはあまり

話題にならなかったが、ここのところずっと、新聞やテレビで、報道が続いている。

 1971年にスタンフォード大学の心理学者フィリップ・が実施した模擬監獄の実験がある。映画

『e's(エス)』の素材にも使われたので、知っている人も多いだろう。報酬を約束して公募した大学生な

ど21人を、11人の看守と10人の囚人に分け、できるだけ実際に近い条件でそれぞれの役割を演じさ

せる実験である。

 だんだんと看守役は、指示もないのに自分から囚人役に罰を与えるようになる。反抗した囚人役を独房

(倉庫)へ監禁し、もともと彼がいたグループにはバケツに排便させる。暴力は禁じられていたが、双方の

緊張が高まり、精神の錯乱や暴力も始まる。それでもジンバルドーは実験をやめようとしなかった。ジン

バルドーが意見を聞いた外部の人が被験者の家族に連絡して、実験は7日で中止された。被験者は実験後

10年間カウンセリングを受けたという。これ以後この種の実験は禁止された。

 この実験は、権力を与えられた人と力を持たない人が、同じ空間に閉じ込められると、個人のもともと

の性格とは関係なく、次第に理性の歯止めが利かなくなり、異常な心理状態に陥る、ということを示して

いると考えられている。

 近代の小・中学校などは、力の弱い子どもが集められ、大人の圧倒的な合意という柵で閉じ込められて

いる空間、という性質がある。フィンランドを含む西欧でも学校のいじめが問題になっている。大人社会

でも、劣位者が脱出しにくい会社や軍隊などでは、往々にしていじめが見られる。閉空間に、集団を牛耳

るものとばらばらで弱い個人がいれば、いつもこの種の問題は起きる、と思ったほうがいい。かつての赤

軍派のリンチ殺人のようなところまで行くことさえある。

 フィンランドの学校では、自殺者が出るところまで深刻化してはいないようだ。子どもの生活時間に占

める学校の割合が日本よりずっと小さいことが、一番大きい理由だろう。日本では、特に中学生は、放課

後も休み中も、上下関係がきつい部活があり、家には寝に帰るだけに近い。フィンランドより閉鎖性が強

い分だけ、弱者が受ける心理的ダメージも深刻になる。

 生徒はともかく、教師は内空間と外空間を往来する自由があるのだから、本来は異常心理を免れられる

はずである。だが日本では、特に最近は、教師もまた外から強い権力的縛りを受けるている。正常な感覚

を維持するのが難しくなって、いじめの当事者になったり、暗黙の加担者や傍観者になったりすることが

増えても不思議ではない。日本の教師がフィンランドの教師より 、仲介者としての機能をより多く失っ

ていることも、彼我の深刻さがちがうもうひとつの原因だろう。