ゲレンデに10万本の花(続き)

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 写真はきのうの続きです。


 〔新しい文明の姿を考える 〕

(16) 利潤が目的から手段へ

 動力機械を使う工場が増えてから、職人的技や長期の熟練を必要としない労働分野が拡大しました。産

業化初期の社会では、それまで慢性的に不足していた命をつなぐ最低限の生活必需品を、より多くより安

く提供すれば利益が上がります。この段階では、できるだけ作業を規格化して、単純労働の従業員を安い

賃金で雇用し、無駄なく働かせる経営管理が有効です。しかし動力機械と近代的経営管理の普及で労働生

産性が向上すると、実用的な需要を満たす製品の生産は以前よりずっと少ない労働力で可能になります。

余剰労働力は、より便利で、より品質がよく、消費する楽しみをより多い商品の生産に向けられます。身

体の維持再生に不可欠な必需品とちがって、はやり廃りや個人の嗜好で選択される商品(モノ、情報、サ

ービス)の需要は、量的な限界がなく、種類や質がどこまでも多様化します。その結果、先進国の国民と

途上国の富裕層を主たる顧客とする産業で求められる労働力の質も変化します。

 単純で正確な筋肉労働の多くは、情報機器を組み込んだ機械にますます置き換え可能になっていきま

す。機械よりコストが低い労働力が置き換え進行のブレーキです。しかし途上国や下層労働者の労賃さえ

も上ってくると、歯止めがうまく利かなくなります。それに、低賃金労働者が多いままでは、必需品がい

きわたってしまった後は需要の伸びが停滞します。自動機械の監視・保守・点検・改善を含む頭脳労働

は、単純筋肉労働より生産性が高いので、需要が活発であれば、労働時間を短縮して労賃を上げることが

できます。社会の多数者を占める賃金生活者に時間と収入のゆとりが増すと、供給側に魅力的な商品の開

発能力がある限り、選択消費は拡大を続けます。

 経済の停滞を避けたければ、選択消費の需要を拡大しなくてはなりません。そのために必要な労働力

は、機械で代替できない種類の頭脳労働者です。機械はイノベーションのアイディアを出し、芸術的・情

緒的需要に応え、機械や技術の開発を進め、科学的探究をする主体ではありません。コンピータはイノベ

ーターのツールとしては有効ですが、イノベーターにはなれません。わずかな労働力投下で十分な必需品

が生産されるという条件は必要ですが、それがある社会では頭脳労働が、活発な選択消費とゆとりある労

働の好循環を継続させる鍵になります。前回述べたように、頭脳労働は筋肉労働とちがって、管理・規律

の強化と命令では効率化できません。馬の鼻先にニンジンをぶら下げるように成功報酬を約束するだけで

も、うまくはいきません。

 同書は未来型企業の多くに社会的目的の共有が見られることを強調しています。


   自発性、創造力、情熱は社員のプレゼントである。これらは命令して引き出せるものではない。あ

  なたがCEOだとしても、(中略)自分自身や同僚たちに次のように問いかける作業を始めたとき、

  初めてこれらの能力を引き出すことができるのだ。「どのような目的が、ここで働いているすべての

  人に最高の力を投じさせるに値するだろう。どのような高邁な大義が、人びとに自分の能力を惜しみ

  なく発揮させるだろう」(P.78)


   ホールフーズの三万人を超える社員をコミュニティ(会社-引用者)に結びつけている究極の要素

  は、共通の目的―世界の食品供給の工業化の流れを逆転させ、人びとによりよい食べ物を提供すると

  いう目的である。(P.93)


   マッケイ(ホールフーズのCEO-引用者)は利益を、ホールフーズの社会的目標の実現という目

  的のための手段とみなしている。(P.95)


 他にもこんな表現が散らばっています。「世界の情報を体系化するというグーグルの大それた野望」。

(P.135)心臓ペースメーカーと埋め込み式除細動器の世界最大メーカー・メドトロニクスの、「人び

とに充実した生活と健康を取り戻させる」という使命感。(P.219)「そのためになら(自分が―引用

者)変わってもいいと思えるもの」、(P.220)「株主を金持ちにしていることのほかに、自分は毎日

何をしていると、子どもたちに伝えたいか」。(P.221)

 フリー・ソフト開発に人びとが集まる理由が、こんな風に説明されています:オープンソース開発者の

ためのウエブサイト、ソース・フォージ・ネットには15万件近いプロジェクトが掲載され、その開発には

160万人が貢献している。開発参加者には、複雑な問題をシンプルに解決するエレガントなコードを書く

という美学に突き動かされているものも、営利企業への挑戦に情熱を傾けるものも、優れたコード開発者

として仲間からの賞賛を渇望するものもいる。多忙なソフトウエア・エンジニアが進んで時間を割く理由

はさまざまだが、無料ソフト開発に貢献したいと思っている点は共通である。彼らは「心理的報酬」で報い

られることを望んでいるのだ。(P.168)

 産業化の段階までは、事業家の目的は利潤であり、「人びとのニーズに応える」はそのための手段でし

た。被雇用者が働く目的はよりよい地位と報酬であり、「社会に役立っている」は、エゴイズムの後ろめ

たさを隠す手段でした。いまゆっくり目的と手段の転倒がはじまっているようです。未来型企業の経営者

は本気で社会的目的を信じていて、利潤はその目的を果たすために事業を拡大する手段であると、考えて

います。従業員は社会的目的に向かって自分の能力を余すところなく発揮することに喜びを感じていて、

金銭報酬は、そのために必要なゆとりを得る手段であり、あなたは十分役割を果たしていると告げる「心

理的報酬」の一部です。地位の誇りなど、創意を発揮して何事かを成し遂げる充実感に比べたら、ほとん

ど意味がありません。

 この転倒が広く浸透すると、文明は新しい段階に入ります。政府などの公的組織と民間私企業の役割分

担も変わってきます。K.マルクスは労働を(交換)価値の根拠と考えました。しかし彼の理論では価値

がないはずの水や空気(の成分)が、いまでは商品になっています。現代経済学には価値の定義がありませ

ん。利潤が民間経済活動の目的から、何らかの価値を実現する活動の効率を示す手段に変われば、新しい

経済学が必要になります。すでに、ヒトが利用可能な環境の有限性を基にした環境経済学という小さな芽

は出ています。この芽が途中で枯れるのか花開くところまで大きく育つのか、わたしは見届けることはで

きないでしょう。ただ、新しい文明が何らかの新しい経済学を必要としていることは確かだと思いま

す。 (続く)