雪解けと春の雪

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 3月半ば、はじめの2枚のように耕地の雪解けが進んでいました。4月に入っての大雪で、公園は再び

真っ白です。大雪と言っても3,40センチ。わたしが子どもとき、越後の山間部では1夜にして1メー

トル以上積もるこもたびたびでした。もちろん除雪車など来ません。高校生のころ正月に帰省していた間

に鉄道が止まって、寄宿舎まで1日かけて歩いたことがありました。この前の道路封鎖は1日だけのこ

と、しかも街中は除雪されていて車で出歩けます。いまの道東のくらしは楽なものです。


 3月末日のNHKのBSハイビジョンで「アンデスに響く黒人音楽」という番組を見て、南米の黒人奴隷

の歴史をはじめて知りました。狩り立てられて南米に運ばれ、焼印を押されて鉱山で酷使され、ばたばた

と死んでいきます。わずかな生き残りの子孫が各地に広がり、いまもアフリカのリズムを伝えています。

同じく虐待による大量死を生き残ったインディオのメロディーと習合し、あの哀切極まりない南米フォル

クローレになっているのですね。皮膚感覚のようになっていまも残る、人としての尊厳を根こそぎ奪わ

れ、死ぬよりつらい日々を耐えていた祖先の記憶。それはこれからの時代に何か貴重な財産になるような

気がします。

 わたしはハイソなくらしをまったく知らないし、あこがれることもありません。土を這う貧農、生命を

削る鉱夫や臨時工、屈辱にまみれる召使や娼婦などの労苦は、わずかに垣間見ることはあっても、避けら

れない自分の運命ではありませんでした。それでも、自分が水呑み百姓の裔だという意識はずっとありま

した。ですから、ほとんどが辛うじて命を継ぐことのできた貧民の子孫なのに、まるで貴族や大名・武士

の子孫であるかのように、「日本の伝統」なるものに取り込まれる人の多いことが、不思議です。

 日本という国家は、西日本からはじまる王権が、相対的に自立していた南九州・沖縄や東北の生活圏

に、戦いを仕掛けたり内紛を作り出したりして、支配を及ぼして成立しています。確かめてはいません

が、わたしのルーツはまつろわぬ蝦夷のなれの果てではないかと想像しています。現在の中央と地方の格

差拡大に、1500年以上続いた中央による地方収奪の歴史を重ねたくなるのは、そういうわたしの「階

級的偏見」でしょうか。世界のどこでも栄光の歴史は一握りの支配層のもの。祖先の血と涙の記憶こそ、

各地の多様な風物とともに、グローバル化社会に貴重な遺産なのではないかと思います。でも、日本では

それが巧妙に隠されてしまっています。