赤い実に白い雪 ムダの効用 8

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 ナナカマドの実はおいしくないのかなー。雪が降りはじめるころにもたわわな赤い房が残っています。

それでも年を越すころには目立たなくなりますから、凍結して落ちて積もった雪の下になるのでしょう

か。刈り込まれた潅木に付いた小さな実はもうすでにまばらです。


                  〔ムダの効用〕

8 もう一つの歴史

 60年近く前に教員の父が赴任した越後の山村で、わたしは5年間の子ども時代を過ごしました。そこ

では山野で摘むネマガリダケの筍やアケビの芽は、宴席にも使われる食材でした。コメや鶏卵は換金作物

で、一般の村人が日常口にできるものではありません。彼らの主食は、稗や粟を粉にして野沢菜の漬物を

包んで蒸したアンボという団子です。卵を産まなくなって潰した鶏や、猟に行った人から回ってくる熊の

肉は、めったにないご馳走でした。有力者以外の村人の家では、雪に埋もれた冬の暖房は囲炉裏、寝具は

藁布団、屋根は茅葺です。

 東京や埼玉の都市部で50年ほどくらした後に、ここオホーツク地方に住むようになって、すっかり忘

れていた山村のくらしが記憶に甦るようになりました。あのころ、都市以外の日本列島弧のあちこちに、

完全には商品経済化されていないくらしが残っていたと思います。不足する現金収入が、その土地ごとに

素材はちがっても、山野川海の恵みや商品にならない作物で補われていました。今ではそういうくらしが

ほとんど失われている場所が多いのでしょう。しかしこのあたりを含め、過疎化におびえる地域ではま

だ、連続性が完全には消えていません。

 連続性、それは少なくても8000年前の縄文期につながる連続性です。弥生時代・・・・平安時代・・・・江

戸時代と来て、アジアで真っ先に近代化したとされる今の日本につながる歴史は、いわば都会の、列島弧

住民一部中心の、歴史でした。漁村、山村、農村の、在地有力者にさえなれない住民多数派の人々には、

縄文的なものとの連続性を残して、さまざまに小さな栄枯盛衰が繰り返される、もう一つの歴史があった

はずです。

 「縄文的」ということばでわたしが考えたのは、社会の次のような要素です。階層差が比較的小さい。

採集、狩漁、栽培、飼育、加工などの生産活動は、自家消費、仲間との分かち合い、そして協議・祭祀・

饗宴などの集団活動に供するのが主目的。外部との交換に充てられるのは余剰分。最後に、なじんだ自然

物に対する交感と言えるような深い理解。

 西欧近代に始まってグローバル化した生活スタイルが、1960年代の高度成長期以後徐々に日本の辺

境にまで及び、今や都市的なくらしがすっかり大衆化しました。そして、国家的中央権力の成立とその拡

大強化の過程が、歴史として意識されています。わたしの記憶と同じように、民衆の記憶でも、学校で教

えられなかったもう一つの歴史は断絶しました。しかしその断絶はまだ50年程度のものです。8000

年に対する50年です。(このテーマ続く)