白鳥さん、湯加減いかが

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 峠を下りて最初に和琴半島に立ち寄りました。細くなった半島の付け根の両側で、あちこちから湯気が

上がっています。露天風呂からお湯が流れ込む西側湖岸で、数羽の白鳥が湯浴みしたり岸に上がって涼ん

だりしていました。一面に湯気が立ち込めていますから、写真はぼやけています。


〔家族の情が格差解消を妨げる? 最終回〕


 子のしあわせに一番責任があるのは親だという考えが一般的な国では、社会保障はなかなか高度になり

ません。国民多数が、自分の収入を家族や子どものいまと将来に投資することを優先し、社会に対する投

資を節約しようとするからです。アメリカや日本のような国ではまだ、親のしつけや教育方針が子の将来

にもっとも影響が大きいと、ほとんどの人が信じています。しかし最近は、親の文化的役割は大きくない

として、遺伝的要素を除けば、社会からの影響のほうが決定的だと論証する文献を、たびたび目にするよ

うになりました。同世代の仲間集団を通じ、集団内の役割に応じて一人ひとりちがう屈折を受けながら、

社会からから届くものが、子どもの価値観や行動様式をほとんど決めると、主張している論者もいます。

 それぞれの社会集団の文化が何世代も骨格が同じままで、成長した子はほとんど親と同じ地位を継ぐ時

代には、親は集団文化の主要な伝達者でいられました。しかし現在は階層の境目が流動し、価値観も多様

化しています。子ども届く「社会」が親のそれと食い違い、親が子を支配できるのは子が幼い間だけ。そ

れがいまの時代です。子の将来は親の責任と思っていれば、学校や就職だけでなく、友だちや結婚相手さ

え親の選択に従わせようとするかもしれません。思い通りに育ててきたと錯覚していた親が、子に叛かれ

るのは悲劇です。特に、錯覚からは醒めながら、社会を信頼できない場合、出口のない闇をさまようよう

なことになります。親が援けられないのなら、子どもが育ち生きていくことになる社会に託す他ありませ

ん。その社会が信じられないのですから、何もしてやれない自分の無力を噛みしめながら、それでも右往

左往することになります。

 子に直接投資するより、社会の互助的システムに投資するほうが、子どもが受け取る利益が大きいと住

民多数が信じる社会では、家族の情と高度社会福祉が両立する可能性があります。家族を経済的に支える

最終的責任を社会に預けたのですから、育ち方は本人と社会の関係になります。親は子の選択に過剰な干

渉はできません。自分や子、親族や友人・パートナーがよりよくくらせる社会の設計・維持に参加する大

人の責任は残りますが、進学や職業選択、もちろん友だちやパートナーの選択も、社会や相手と折り合っ

て決めていくのは本人の責任です。対人関係の情緒や個人の価値観は、家族やその他小集団の慣習的な縛

りからより自由になり、社会全体の広がりのなかで展開します。家族などエロス的関係は、経済的権利・

義務から解放され、互いの正直な気持ちと向き合いやすくなります。

 わたしは若者たちに、社会に支えられ社会を支える人生を送ってほしいと願っています。理想主義者は

よき社会の実現が可能だと信じたがります。しかし彼らには、自分がよしとする社会の実現を焦って、ヒ

トという生物の自然な傾向を無視したり、抑圧したりしたくなったりする危険がつきまといます。専制

な権力を握った理想主義者が、反対者はもちろん、仲間さえ信じられなくなって、冷酷な弾圧・殺戮を実

行した例は、歴史のなかにたくさん見つかります。

 いまのアメリカや日本には、「他人はどうあれ身内の利害を優先せよ」と、身をもって教えている親が

少なくないようです。彼らは、万人の万人に対する戦いや優勝劣敗思想がはびこる社会を、永遠に、ある

いは自分や子どもが生きている間は、変えることができないと思い込んでいるのでしょう。現実主義者

は、自分が見ている社会の趨勢が抵抗できないもの・抵抗すべきでないものと考え、その考えに従った行

動を選ぶことで、役目の終わった制度・慣行の延命に加担する危険があります。彼らが既得権擁護のため

に強権を行使する権力者を護る壁になって、不必要に長い停滞が続いた例にも、歴史は事欠きません。

 歴史の観照者としてのわたしの結論は、たいていの人に一人ひとりちがう度合いで、理想主義と現実主

義の両方が共存している、というものです。住む社会の現実や支配的な思潮によって、一方が他方より優

勢になります。日本では、国家経済破綻と理想主義復活の、どちらが先になるのでしょう。いまは、努力

と才能を称揚し、成功者に社会還元を求める、アメリカ的イデオロギーも浸透していません。親と子で共

有できる価値観があるとすれば、「カネがあればしあわせ」かもしれません。その場合、家族の絆が深ま

るより、近親者や仲間の間でも、財や地位をめぐる争いが激しくなるような気がします。もっとも貧乏で

苦労すると、ちがう価値観が育つこともあります。いまは理想をバカにして笑うのがはやりみたいです

が、わたしは絶望していません。(終り)