秋の田園 ムダの効用41-4

 
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 田園でいま緑なのはビートと麦。籠に詰められて緑のキャップを被っているのはタマネギ。積み上げられて同

じ色のカバーをかけられているのは豆類。十分に乾燥させてから出荷されます。作物がなくなって整地された黒

い土地もすっきりして、なかなか気持ちがいいものです。


まつろわぬ者たち()―4
 

〈労働の始まり〉

潅がい稲作の普及は自然との関係だけでなく、生産活動の、さらには人が生きる意味も変えます。本格的な農耕以前の、グイやヤノマミのような、狩猟採集を生業とする、あるいは併せて粗放栽培を営む、部族的小集団のくらしを考えましょう。文化人類学や考古学などの書物の記載や放送された映像を総合すると、こんなことを想像できそうです。肉が食べたくなって狩りに出かけた男が、まだ温かいシカの糞を見つけて踏み跡をたどります。日が暮れて寒くなりお腹が空いても、あきらめる気にはなれません。仕留めてみんなに知らせ、何人かの男を呼んで運んで帰ったときの、はしゃぎまわる子どもや喜んで火の準備をする女たちの笑顔が目に浮かぶからです。女がドングリを集めに行くのは、雪の季節に空腹で泣く子どもを見たくないから。よく熟れた野イチゴの群落を見つければ、その甘さに喜ぶ夫や子どもの姿が思われ夢中で摘みます。アワの稔る季節には女たちが集まって、醸した酒でどんな乱痴気騒ぎになるか、わいわい語り合い笑い合いながら刈り取ります。

着る物を仕立てたり家を建てたりするときも同じで、着たり住んだりする親しい人の気持ちが手に取るようにわかるから、きつい作業も楽しみがあります。生産活動は一人で、連れ立って、あるいは部族こぞって行われます。その消費は半ば家族単位で、半ば集団全体で行われますが、体が不自由な障害者・高齢者、働き手を失った家族がはじき出されることはありません。孤食は一人で遠出したときだけで、それ以外はいつも、親しかったり顔見知りだったりする誰かとともに飲食します。交易のためにとっておく場合を除き、生産行為はすべて自分や知り人の具体的な消費と結びついています。

長老でもシャーマンや呪術医でも、もしあなたは狩にも採集にも収穫にも行かなくていいと言われたら、腹を立てたり悲しくなったりするでしょう。彼らも体が動く間は、狩、採集、農作業をやめません。生き抜くためにさまざまな工夫をし、力を尽くして身体を酷使します。そうして得た物で自分と自分に親しい者たちが飲食し雨露寒暑を凌いで、満たされて安らぎ睦み合います。生きてあることを戦い取り、命を歓びあう日々です。その歓びを宴やもの語りや歌や踊りで互いに確かめ合います。いつかその日が終わるとわかっているから、命を継ぐ子どもの姿にいとおしさがこみ上げます。生きるとはそういう日々が続くことです。衣食住が満たされていれば、さらに物を求める動機はありません。余った時間は寝たり、ごろごろしたり、おしゃべりしたりして過ごすことになります。生産と消費と享受が一体になっています。彼らは、楽しさや充実感を犠牲に効率を追求するという発想を、まったく理解できないでしょう。

子ども、母子家族、親のない子、高齢者、傷病者の衣食住を支え、哺育を援助し、介護に当たるのは、家族・親族や姻族、それに部族全体だったでしょう。現代的な社会保障社会福祉は見知らぬ者の支え合いですが、当時は生産=消費=享受が渾然一体になった日常の一部だったはずです。部族的集団の規模は多くても数百人です。メンバーのほとんどは親族・姻族関係にあります。自分の部族を失ったり部族から離れたりした人が収容されることがあっても、その人が長く留まればたいてい姻戚の絆が生まれます。働けない人も、今のような義務と権利の制度的関係、あるいは恩恵と感謝の道徳的関係ではなく、あたりまえのこととして集団に包み込まれていたと思います。

しかし集団規模は小さいし生産力にあまり余裕がありません。食糧備蓄の方法も限られています。気候条件の悪化や大きな自然災害が起きれば、きっと弱い者から死んでいき、出生率が低下し乳幼児死亡率が増加したはずです。新しい環境に適応したり気候条件が改善したりして人口が回復するまでに、きっと何世代もの時間が必要です。労働を知らない陽気なくらしは、文明のなかに生まれた人々にとって、気まぐれな自然に翻弄されるだけ、とも見えるでしょう。 (この項明日に続く)