透明な紅葉 自分のなかの他者
〔自分のなかの他者〕
多田さんが書いた本の感想を続けます。
話すことや直立二足歩行はヒトの特徴です。その機能を担うべく多田さんのなかでうごめく神経細胞
は、かつての彼を構成していたものとはちがう、新しい何者かです。人としての尊厳のために苦闘する自
分のなかの他者、その存在の自覚が、反戦を訴え、リハビリをめぐって政府と渡り合う、彼の活動につな
がったのだと思います。
今日は「パ」の発音ができたといっては喜び、カツサンド一切れが支障なく食べられたといっては
感激する。なんでもないことが出来ない身だからこそ、それが出来たときはたとえようもなくうれし
いのだ。
そうやって、些細なことに泣き笑いしていると、昔健康なころ無意識に暮らしていたころと比べ
て、今のほうがずっと生きているという実感を持っていることに気づく。
多田さんは紙一重のところで言語理解・統語機能の損傷を免れています。科学者としての素養、文学的
表現力、能を作る力は残りました。人として生きる些細な日常の泣き笑いがどんなに貴重かを実感し、人
からそれを奪おうとする政治や制度への怒りがたぎり、ワープロにしがみついて表現します。
表現能力を行使することは「社会とのつながり」の確認です。死に照らし出され、自分のなかに他者との
共存を自覚することで、自分個人という自己イメージの境界が変容したのだと思います。だから健常者の
10倍の時間をかけてパソコンを打ち続け、疲れはてて眠る毎日に、「明日死んでもいいと思」うほど、充
実感を得られました。
この本を読み終わったときわたしの脳裏に、くらしを楽しむことが人の生きる目的、というフレーズが
浮かびました。多田さんのような重度障害者でも、周囲の人の共感的な励ましや、科学的知識と豊富な経
験を持つ専門家の支援があれば、それができます。彼の場合、妻の献身、友人知人の激励支援、一人の優
れたリハビリ専門家との出会いがあって、生きて活動する意欲が再建されました。おかげでわたしも、人
のある極限的な生における、貴重な感情の起伏を疑似体験させてもらうことができました。