軒下の光 ムダの効用 35

 まりさん、わたしも晩酌をするときは主食を控えます。イタ飯屋のオードブル、チ
 
ズは別ですが他はカロリーが低そうですね。
 
 
 タムラ、スルドイ!飛び立とうとしているのかと思ったら、排便でした。とこころ
 
で、サンマ送ったよ。量が多いけれど、君んちなら処理できるよね。
 
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 6
 
イメージ 5
 雪国ならつららは珍しくもないけれど、軒下で西日が透明な光を見せているとやっ
 
り目を惹かれます。いまの時季は日中でも気温がプラスになることはまずないの
 
で、先端から水が滴ることはありません。それでも強い直射日光で短時間垂れてすぐ
 
固まることがあって、サンルームの網戸とガラスの間で色彩がきらめいたりします。
 
               〔ムダの効用〕
 
 35 まつろわぬ者たち()
 
 ジャレド・ダイアモンドは⑤で社会の4段階を語っています(88125)。小規模血縁
 
集団(バンド)、部族社会(トライブ)、首長社会(チーフダム)、国家(ステート)です。まずバ
 
ンドについて。「この社会(バンド―引用者)は通常、五人から八〇人で構成され、メン
 
バーのほぼ全員が血縁関係にあるか、婚姻を通じての親戚関係にある。つまり、小規模
 
血縁集団は一つの大家族か、親戚関係にある家族がいくつか集まって一緒に暮らしてい
 
るグループである。(中略)こうした集団は、食料を自分たちで生産せず、狩猟採集民と
 
して移動生活を送っている(89)」。
 
 次は部族社会。通常は数百人規模で、誰もがみんなの名前と自分との関係を記憶して
 
いられる。血縁・姻族関係が争いの歯止めになるので、警察や法律は必要ない。食糧生
 
産が始まり定住生活をしていることが多いが、家畜の世話をしながら季節的に野営地を
 
移動することもある。土地所有の単位は部族ではなく、そのなかの特定氏族(クラン)
 
ある。(9296)わたしが思うに、一つのバンドが完全に孤立したままだったり、他の
 
すべてのバンドとずっと敵対していたりすれば、やがて滅びます。持続するのは、通婚
 
や交換交易などで交流関係を結ぶ相手があるときです。この絆が強くなって、ともに遊
 
動したり定住したりすると、部族が誕生しバンドはそのなかの氏族(クラン)に変質しま
 
す。
 
 第三段階は首長社会。血縁関係でつながっておらず、互いに名前も知らない数千人か
 
ら数万人がくらしている。権力を世襲で受け継ぐ首長が、重要な情報を独占し、身分の
 
低い首長である官僚を指揮し、公的な決定を下した。特別に自然環境に恵まれたところ
 
では狩猟採集で食料を得ていたが、たいてい食料生産が行われ、余剰生産物で首長、官
 
僚、職人たちの生活が賄われた。(96104)
 
 最後の段階である国家への移行について、わたしはこう考えます。首長は対立する諸
 
グループ・諸個人の利害対立を調停・裁定し、社会の共同意志を決定する権威を与えら
 
れた存在です。国家が出現するのは、首長社会が次のような段階に至ったときです。最
 
も強力で権威の大きい首長が、分立する首長社会間の争いのなかから他の首長たちと並
 
び立つ地位を抜け出します。彼または彼女が、首長(社会)間の対立を調停・裁定したり
 
首長たちの共同意志を決定したりする権威を獲得し、その周りに、下位の首長たちの支
 
配する領域を一円的に統治する機構が成長した段階。
 
 共同意志が生成する仕組から見ると、バンドと部族では成員の共有する集合的無意識
 
が自然に顕現します。シャーマンやリーダーがその媒介をするにしても、彼・彼女らは
 
超越的な存在ではなく、みんなのなかの一人です。それに対し、首長社会や国家の宗教
 
的・政治的頂点にあるの、はもはやみんなのなかの一人ではなく、他の成員とは異質
 
な、超越的権威を身にまとった人物です。そしてその人物は官僚だけでなく専業的な武
 
装集団にも囲まれています。この点で、前の二段階と後の二段階は質的に区別できま
 
す。しかしあいまいな過渡期が長く続くこともあります。
 
 1315章でわたしたちは、自を恃む自尊感情に支えられた、リトル・トリーの心の世
 
界を見ています。チェロキー族は白人入植者が来る前はそれぞれ酋長に率いられる部族
 
に分かれていました。白人との対立が激しくなって、一人の首長の下で部族連合を形成
 
し(⑤120121頁)ますが、けっきょく戦いに敗れて彼らの社会は解体されます。リト
 
ル・トリーはその何代も後に、部族を失った祖父母とともにくらしています。それでも
 
自尊感情は受け継がれていました。そして支配的地位にある白人たちは、それを打ち砕
 
く「教育」を施そうと躍起になっています。
 
 わたしはかつて、自尊感情がだいじと説きながら、行動としては他者に自分の意思を
 
押し付けられる地位を確保しようと画策する人に出会い、奇異に感じたことがありま
 
す。でも現代社会ではこの方がふつうなのでしょう。「自尊」はたいてい、他人を出し
 
抜いて地位を上昇する意欲と結びつくようです。しかし首長制・国家以前の人々にとっ
 
てそれは、自他の自律性を侵害させない・しないということだったと思います。
 
 2026章でわたしたちは、菅原和孝が記録し詳細に分析した日常会話を通じて浮かび
 
上がる、グイの人々の精神世界を垣間見ました。グイの社会は他者とかかわる日常の行
 
動や会話の隅々にまで、他人の自律性を侵害する権力を無化しようとする志向が無意識
 
のうちに働いていました。人と人がともにあれば避けられない葛藤に、共同的な強制力
 
によってではなく、<かたり>によって不断に賦活される交感と親和の感情で対応して
 
います。過渡期である、部族制最終段階=初期首長社会ではまだ、みんなのなかの第一
 
人者としての首長に、この共同体的意識(集合的無意識)の手綱が付いていました。共同
 
体の交感と親和を損なうリーダーはその地位から排除されます。
 
 対称的にわたしたちの社会は、幼時の「おばちゃんにありがとうは?」から出発し
 
て、人格の背骨にあたる自尊心をへし折って序列秩序に馴化させる装置が、家庭、学
 
校、社会の隅々にまでいきわたっています。「民主主義国」とは、それらの装置の威力
 
で、公的暴力の行使が目立たなくなった社会の姿です。抽象的神格と融合して成立した
 
広域首長制から始まる、他者の自律性を収奪する地位をめぐって争う社会の、最終段階
 
の姿です。いま、その終わりが始まっています。これは本論最終部のテーマです。まだ
 
しばらくは、国家の圧力が列島弧北辺の人々にもたらした葛藤を見ていきます。(続く)