三国峠 死に照らし出されて

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 三国峠の写真は今日でおしまいにして、明日から日付を進めます。他に層雲峡や千畳ぐずれなど、10

月4日撮りで残っているものもありますが、冬の凍結で遠出できなくなってネタに困ったときに紹介しま

しょう。


〔死に照らし出されて〕

 免疫学者として優れた業績のある多田富雄さんは、2001年に脳梗塞で倒れ、それ以来右半身麻痺、発語

障害、歩行障害、摂食障害に苦しむ一級障害者です。その後さらに前立腺癌を発症し、摘出手術を受けて

います。彼が作業療法ワープロを習って、左手で書いた『寡黙なる巨人』(集英社)という本が7月に出

版されました。先月読んでから、ずっと何かが気にかかっています。彼はすごいと感動したとかそういう

ことではなく、経験した人が表現してくれたおかげで、生命の強靭さを知らないままに終わらずにすん

だ、そんな感慨でしょうか。

 発作がおきたのは、世界から注目される学者、名の知られた能作者、身だしなみのいい老紳士などとし

て、社会の評価でも自己イメージでも颯爽と、活躍しているさなかのこと。気がついたときには、介助な

しには身動きならず、飲みもの食べ物は気管に入って嚥下できず、一言も話せない状態でした。電気コー

ドを首に捲き電動ベッドのスイッチを入れて死ぬことを考え続けたそうです。その絶望感は推測できそう

な気がします。しかし、そこからの希望回復の過程は想像外でした。

 彼は何回か「もういったん死んだのだから」と書いています。死の渕まで行ったということだけではなさ

そうです。何かで、臨死状態から還ると人格が変わる、と読んだことがあります。その人たちの多くはや

がて普通の生活を再開するに至ったのでしょう。しかし多田さんはいまも、半分以上死んだままです。彼

は知っています。かつて顔面、喉、舌、手足などのたくさんの筋肉を精巧に操っていた脳神経細胞が、再

び甦ることはない。以前の自分を構成していたものは永遠に失われたのだ、と。そこからの生きる意志の

再生、いや新生です。

 最初のきっかけは麻痺していた右足親指がピクリと動いたことでした。


  (前略)私は妻と何度も確かめ合って、喜びの涙を流した。

   自分の中で何かが生まれている感じだ。それはあまりにも不確かで頼りなかったが、希望の曖昧な

  形が現れてきたような気がした。とにかく何かが出現しようとしていた。


 声帯や手足が機能を回復することがあるとしても、それは神経再生によるものではなく、新たに作り出

されるものだ。話すのも歩くのも物を掴むのも、わたしではない何者かの行為だ。新しく生まれようとし

ている得体の知れない、「弱弱しく鈍重な」何か、それを多田さんは「縛られたまま沈黙している巨人」と呼

びます。彼はこの巨人に希望を託し期待します。紆余曲折はありましたが、結局いまも話したり歩いたり

右手を使ったりはできません。それでも彼は、自分の中に新しく生まれようとしてもがく何者かのうごめ

きに励まされ、新作の反戦能を国内と韓国で発表し、リハビリ患者を棄民する政府に抗議する署名を集

め、雑誌に文章を載せ続けています。