旭岳の噴煙 ムダの効用 26

イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
                            〔ムダの効用〕
 
 
26 ザークを語り合うのは
 
 グイの人々も一対の男女の永続的で安定した結びつきこそ望ましいと考えています(
 
98)。どこでも婚姻の儀式はそれを祈念するものでしょう。しかし結婚には、性愛の他
 
に、子育てと経済生活の共同や、多かれ少なかれ親族・姻族とのかかわりが含まれてい
 
ます。そのため、男が社会的・経済的に優位にある社会では、女は地位の高い男との結
 
(昇婚)を望む(あるいは強いられる)傾向があります。ガナは言語的にも交わりの深さの
 
点でもグイと兄弟的な部族ですが、ガナのほうが一般に経済的・社会的に上位とみなさ
 
れています。そして両部族にまたがる婚姻では、夫がガナで妻がグイという組み合わせ
 
はその逆のケースの3倍です(230231)。結婚相手としては甲斐性のある男が好ま
 
れるということです。しかし、「ザークについては、グイとガナは完全に対等な立場で
 
競い合っていたであろう(165156)」と、菅原さんは書いています。
 
 例えばナウシューは若いときから「無能」だと評判の(102)老爺ですが、ペレとい
 
う老人の妻・トエガエと長期間ザーク関係でした。トエガエは彼を不実だと言い、彼女
 
の親族や前の恋人・カマカムも激しく彼を批判します。それでも二人は続きました。菅
 
原さんは、「多くの恋人と関係をもつという男の能力は、経済的側面における有能さと
 
相関しているわけではない。それはもっと直接的に、己の求愛を女に承諾させようとす
 
る執拗さに依存していると思われる(同前)」と評しています。ちなみにナウシューは6
 
人の妻と結婚し、4人と離婚、2人と死別しています。キャンプの人々は、彼がペレか
 
らトエガエを奪って結婚しようとしていて、それが暴力的な争いを引き起こすだろう
 
と、噂しあっています。もっとも、ナウシューを敵視しているのはカマカムであり、ペ
 
レはむしろ彼に好意的で、前の恋人であるカマカムの方を憎んでいると、人々は知って
 
います(125)
 
 老いた夫から妻を奪うべきではないと人々の判断は一致しても、誰も強制的にナウシ
 
ューとトエガエを引き離そうとはしません。そして彼女は離婚しないまま二人のザーク
 
を続けます。女たちはみんなで、男は不実だと話しながらも、それぞれに熱心にザーク
 
を求めます。刺激的な物語を楽しむように、身を乗り出して語りあい、会話しながら、
 
人々は彼らなりの倫理的な合意を浮かび上がらせます。浮かび上がらせるだけで、それ
 
に従うかどうかの最終決定は当人に委ねます。婚姻の永続を願いながらも、婚外性関係
 
を禁圧しようとはしません。 
 
 菅原さんは「人々の批判を浴びながら、何年にもわたって関係を続けた恋人たちに
 
は、なぜ「共同体からの制裁」が課せられなかったのであろうか?」と自問していま
 
す。その前段で彼は、グイの「「延々たる持続」という茫漠とした特質」に注目し、
 
「あくまでも執拗な要求としたたかな拒否の応酬とが延々と持続してこそ、真剣な交渉
 
がそれ以外のなにものかへと転移する余地があるのだ」と書いています。そして自問に
 
答え、「制裁の可能性が人間を社会的合意の鋳型にやみくもに押し込むのだという考え
 
かたを捨てて、コンフリクトを解決しえぬままに延々と時が過ぎるというアナログ的な
 
政治過程をきちんと把握しなければならない」と書き、さらに次のように付け加えま
 
す。(331333)
 
 
 1994年に開始したライフヒストリーの調査のなかで、私は恋人関係にまつわる
 コンフリクトを語る男たちの口から、しばしば「そいつをほおっておいた」という言
 いまわしが発せられるのを聞き、深い印象を受けた。〈連関性の分岐〉とか〈並行的
 な共存〉という生硬な術語で私がつたえたかったことは、結局のところ、グイの社会
 生活を濃く彩っている「ほおっておく」(ホウxou)というキイワードに集約される
 のかもしれない。
 
 
 わたしは性とは一対一の個体間で行われる差異の交換であると考えます。わたしとわ
 
たしのクローンの間には差異がなく、異種生物の間では交換ができないので、性は成立
 
しません。一対一で互いの体と心のちがいを享受しあう交わりは、親子・きょうだい、
 
親族・友人・知人、同性間でも、性的です。そのなかで、性交または性交可能性を前提
 
にした一対の男女(およびそれを模した一対の同性)の関係を、他の性的関係から区別し
 
て、性愛と呼ぶことにします。差異の交換ですから、性的関係において本来的には二人
 
は対等です。
 
 結婚は社会制度なので、夫婦間に経済的・社会的な現実が影を落としています。家庭
 
に浸潤する社会秩序は性愛の対等性と衝突します。衝突が社会秩序を害するのを防ぐた
 
めに、夫婦の性愛を「愛」や「思いやり」などという不透明なベールで包み隠し、婚外
 
の性愛を倫理的・宗教的な罪と規定しました。男尊女卑の身分社会は姦通する女性に厳
 
しい制裁を課しました。グイの人々も婚姻と性愛の矛盾には気づいています。しかし性
 
愛の対等性は、グイの人々を結びつける共同的な「センス」の、自然な基盤に含まれて
 
います。カップルの対等性が仲間の対等性と響きあうということです。したがって、性
 
関係の葛藤への対応は制裁やザークの禁圧ではなく、「延々たる持続」としてのおしゃ
 
べりということになります。
 
 おしゃべり、それはわたしたちが感じるような、つまらないヒマつぶしではありませ
 
ん。苛酷な日々のくらしのなかで、人と人がともに生きる歓びを再確認する営みです。
 
孤立したキャンプで病気になったり、砂漠の狩や採集で道に迷ったりすれば、容易にの
 
たれ死ぬような現実がありますから。
 
 
 それにしても、その活動(おしゃべりー引用者)は、なんと豊穣なものにみえたこと
 か。大きくふりあげられる腕、語句を強調するたびに砂の上に突き立てられる指、語
 りのリズムをとるかのように内転と外転を繰り返す手首、ぐっと前傾したりのけぞっ
 たりする上半身、相手の発言をいぶかしんで、その顔をまじまじと見つめる眼の光、
 逆に、著しく関心をそそられたときあんぐりと開く口、そしてときおり沸きあがる歓
 声と笑い声。これこそは、グイの人々が一日のうちもっとも多くの時間を費やしてい
 る社会行動だ。(後略―①前書きvi)
 
 
 延々たる持続、一日の大半を費やすおしゃべりを、効率を金科玉条とする現代社
 
は、許されないムダとみなすでしょう。しかし、せっせとムダを排して息せき切って生
 
き、短い生涯でどこに行こうというのでしょう。グイの人々は葛藤に困惑する一方で、
 
ともに物語ることで、それを大きな慰め、歓びの種に転化する知恵があります。それこ
 
そが人と人がともに在ることの効用だと知っています。ザークではお互い対等なので、
 
自発的に応じてもらうしかありません。はらはらどきどきの刺激的活動ですが、やっか
 
いな葛藤が付き物。それが人の自然に埋め込まれ、避けられないものならば、おしゃべ
 
りの種にしてみんなで楽しまなくては。楽しみながら、「けっきょくのところ他者の自
 
律性を放置するしかないという〈センス〉」を繰り返し活性化しています。次の文章
 
は、この「」を含み、①の結論部分に置かれています。菅原さんが言いたいことは、わ
 
たしの解釈と同じではないと思いますが、どこか重なるところもありそうです。
 
 
 (前略)もっとも本質的なことは男女が他者から遮蔽された時・空間で性関係をもつと
 いう身体の過程と、そのことについて綿密に語りなおすという過程とが、社会のなか
 で相互反照的に生成しているということである。このようなフィードバック回路に絶
 えず活力を供給しているものこそ、婚外の性にまるでアプリオリな条件のように組み
 込まれた怒り/葛藤(およびそれのアンチテーゼとしての歓び/同意)という火床なので
 ある。あえて「社会の選択」という、クラストルの愛好する目的論的な表現を模倣す
 るならば、グイは、婚姻という制度において始めから不発にされてしまう〈葛藤につ
 いて語る〉という身体の営為を保証するためにこそ、ザークという「制度」をつくり
 だしたともいえる。
  この営為はおそらくグイたちに共有された「文化的スキーマ[DAndrade 1995
 によって組織されながら、しかし、けっしてあらかじめ定まった道筋などもたずに、
 新しい葛藤の生じるたびごとに、開始され持続される。それをくぐり抜けることによ
 って、そのつど人々は、けっきょくのところ他者の自律性を放置するしかないという
 〈センス〉を学びなおし、「強制権力」の不可能性を生きなおすのである。グイにお
 いて〈語る身体〉とはなによりも葛藤を隠蔽することを拒む身体なのである。〈語る
 身体〉としてあり続けることこそが、そのまま、「権力の否定に自らの全体を賭け
 る」もう一つの方法なのである。(331)
 
 
 今回で菅原さんの三冊の著書を手がかりにしたグイ文化の考察を終わります。次回か
 
らのテーマは、農牧とともに始まった政治的社会による、狩猟採集社会の征服です。(
 
)