タンポポ 日本の右傾化 2

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 美幌郊外の畑で見たタンポポの群落です。種を飛ばして旺盛に繁殖するので嫌われていますが、黄色い

じゅうたんの広がりにはやはり目を奪われます。



〔日本の右傾化 2〕

 日本が右シフトした理由を考えるために、ここ四半世紀の歴史を駆け足で振り返えってみよう。

 1980年代後半は、戦後経済復興、高度成長と続いた日本の経済発展がピークに達した時期である。

ジャパン・アズ・ナンバーワン」はこの時期に聞こえてきたことば。バブルがはじけて、90年に下降

が始まる。この間、凋落の兆しが見えていた米英の経済が、サッチャーレーガン新自由主義政策と並

行して回復に向かいつつあった。中国では文化大革命の余波も鎮まり、鄧小平の改革開放政策が始動。ソ

連でチェルノブイリ原発事故が起きたのは86年。

 89年に昭和から平成に変った。この年、父ブッシュの大統領就任。中国では天安門事件ソ連の支配

が揺らぎ、東欧諸国で民主化がはじまり、ベルリンの壁が崩壊。90年、イラククウェートに侵攻。翌

91年国連決議に基づき多国籍軍イラクを攻撃。日本は結局多国籍軍支援に総額130億ドルを支出

し、ペルシャ湾海上自衛隊掃海部隊を派遣する。当時の国民感情では、国外での戦争への加担にかなり

の抵抗感があった。これ以後しばらく、「人を出さずカネで済まそうとする日本への海外からの非難」

が、国内でしきりに報道される。アフリカで食糧危機深刻化。ソビエト連邦解体。92年、PKO協力法

が公布され、カンボジアPKOに自衛隊派遣。

 93年にはバブル崩壊後の停滞感が広く国民に浸透する。これ以後平成不況、就職氷河期が続く。「失

われた10年」。ヨーロッパではEUが発足し、参加主要国の経済が上向きに。アメリカもITブームな

どで好調。94年村山首相が、自衛隊容認・日米安保堅持へ、社会党の基本政策を転換。このころ、70

年代回顧ブーム。茶髪の流行、ファッションの多様化、コギャルへの注目。パソコン、ケイタイの普及が

はじまる。95年、阪神淡路大震災オウム真理教地下鉄サリン事件。97年、神戸連続児童殺傷事件。

同年、香港が中国に返還される。地球温暖化防止京都議定書採択。99年、国旗国歌法成立。

 2001年1月、子ブッシュ大統領就任。投票数では上回るゴア候補に投票人数で競り勝ったもの。新

政権は京都議定書に不参加。4月、「聖域なき構造改革」を唱える小泉内閣発足。9月11日アメリカで同

時多発テロ。10月のアフガニスタン侵攻から、「対テロ戦争」はじまる。大統領支持率が急上昇。02

年、日朝首脳会談北朝鮮が日本人拉致・核開発を認める。日本の景気が「失われた10年」から脱し、

上向きはじめる。03年に対イラク戦争。この年中国発の新感染症・サーズが世界的に流行。ケイタイ・

パソコンがほとんどの国民に普及。

 04年、10個の台風が日本に上陸し、異常気象が語られる。この年、日本人がイラク武装組織に誘拐

され、その後解放された事件で、被害者を非難する議論が起きる。マツケンサンバがヒット。ニート、引

きこもりが多く語られる。05年、郵政選挙で勝利した小泉内閣のもとで、民営法が成立。この年、建造

物の耐震偽装問題。中国・インドの経済躍進が注目されるようになる。日本では中国の大国化に過敏な反

応も。06年安倍内閣発足。好況期間が高度成長期の「いざなぎ景気」を超えたと言われる一方で、所得

格差・地域格差・教育格差の議論が盛んに。07年あるある大事典捏造問題。CD・マンガを含め、出版

物の発行部数減少。高度成長期、あるいはそれ以前への懐古的風潮。若者ファッションが多様化し、1世

代全体に及ぶ流行が見られなくなる。