フィンランド・モデルは好きになれますか 最終回

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第一部
 写真は摩周第三展望台から見た山や木々の風景です。一枚目が斜里岳、二枚目と三枚目は藻琴山
 
 第二部の『フィンランド・・・』が終わりました。わたしは書きながらでないと考えられないタチです。書くはじから発表するやり方でしたから、重複が多く、ずさんな構成になってしまいました。リライトしてまとめ、プリントアウトしてみたいと思っています。もし、読みたいという方がいらっしゃいましたら、お知らせください。

 本日朝7時前にわたしもおじいさんになりました。

第二部
        フィンランド・モデルは好きになれますか 最終回

 5 課題
 
(3)絶望と希望(承前)

〔新しいフロンティア〕
 サハラ以南のアフリカを中心に、脱出の希望をもてない絶対的貧困に沈む10から11億人の人々がいる。中東を中心に、是正される兆しの見えない格差に憎悪をたぎらせる人々がいる。彼らの深い絶望が、現在の世界で最大の不安定化要因である。自分が経済格差をはい上がれると確信できれば、絶望から抜け出すことができる。
 
  中国の人たちに将来の夢を尋ねると「社長になる」「自分の店を持つ」といった答えが圧倒的だ。仕 事の中身は二の次、三の次。とにかく「自分の力でお金を稼ぎたい」という。(中略)経済成長の熱気の 中、人々は「上へ、上へ」とはい登ろうとする。それがまた、国の発展の原動力になっている。中国の そのエネルギーは、うらやましく思えもする。
  だけど、横にそれたり下がってみたりの「ゆとり」がまだ、中国には許されない。その過酷さは、想 像以上かも知れないと思った。(朝日新聞06,6,4 林望記者)

 中国やインド・ブラジルなど、絶対的貧困を脱し、中程度の貧困から先進国並みの豊かさへ駆け上ろうとする人が多い社会には、不均衡な発展から生じるさまざまな問題はあっても、全体としては活気がみなぎっている。日本が明治中期、大正末期から昭和初期、1960年代後半から80年代と、何度かに分けて100年で進み、欧米が200年かけてたどった過程を、これらの国は一気に駆け抜けようとしているように見える。目標があり、それに手が届きそうなとき、人は活気づき勇気をふるい努力する。拓くべき豊穣なフロンティアが見えていれば元気よく前に進むことができる。
 それを「過酷」と感じるのは、日常に不本意な死があふれている状態が、遠い過去や現実味のない非日常になった社会の感性である。フィンランドはそういう社会の先頭グループにいる。そして、その地位を守るためには、元気よく追いかけてくる国々との経済競争に負けるわけには行かない。だが、ただ守備に回るだけでは社会が停滞する。フィンランドが意欲の格差を根本から解決するためには、新しいフロンティアが必要なのである。個人の心の深層は目に見えない回路で時代の精神とつながっている。精神障害は社会の病であり(参照:『治療文化論』中井久夫 岩波現代文庫)、社会は時代とともに遷(うつ)る。
 欧米の近代的経済成長開始から数十年遅れて、日本でも島津斉彬坂本竜馬など時代の最良の知性が、産業近代化と共和制による国内統一を構想しはじめていた。彼らの夭折でより粗雑な知性が日本の近代化を主導することになった。島津らが新政府の指導者だったら、いま日本はフィンランドのような国になっていたかもしれない。だが彼らの意識のなかにも、アフリカや東南アジアや中南米の民衆はなかっただろう。まだ統一国家の態をなしていなかった日本の国益が発想の中心だったはずだ。個人の意識は限られている。どんなに賢明でも、時代精神を超えることはできない。
 先に触れた、バングラディシュでの住民相互保障による小額融資は、経済学者のムハマド・ユヌスが始めた制度である。彼が今年度のノーベル平和賞を受賞することになった。絶対的貧困解消が世界の課題として意識されるようになった印である。ジョージ・ソロス(参照:『グローバル・オープン・ソサイエティ』ジョージ・ソロス ダイヤモンド社)もビル・ゲイツも、世界の格差是正に巨額の私財を投じている。日本でも欧米でも、アフリカや中東や東南アジアや中南米に出かけて貧困撲滅に汗を流す若者がいる。グローバルなヒトの世界がいまわたしたちの意識に浮上してきている。それなのに、現在の日本で政治経済を主導する人々が、島津斉彬より広い見識をもっているのか、疑問を感じる。目先の国益のためでなく、貿易国である日本が安定した世界で栄えるためにも、本気で貧困解消・格差是正に取り組まなければならないことが、わかっているのだろうか。
 思うに、新しいフロンティアには、世界的な貧困の解消と絶望的な格差の是正、それに意識のグローバルな総体の意識化という二つの課題が、含まれているのではないだろうか。経済のグローバル化が、バングラディシュの近代的経済成長の第一段階や、中国・インドの第二段階の背景になっている。そして経済のグローバル化は情報のグローバル化と表裏一体である。
 個人の感覚は限られているが、望遠鏡・顕微鏡やその他の人工感覚が発達し、個人の生理を超えることができるようになった。個人の記憶力は限られているが、コンピュータが発達して個人の脳に貯蔵される情報を超えられるようになった。個人的接触で情報交換できる範囲は限られているが、人工知能が介在するネットが発達して、原理的には、地球上のヒト全体でのコミュニケーションの可能性が見えてきた。個人の意識は限られているが、個人を超えるグローバルな意識の総体が現実化しようとしている。この総体は一人の個人が全体を把握できるものではない。それぞれの個人は、その興味・関心に応じて、ヒトの意識の総体に部分的にアクセスする。細部を捨象した総体の抽象的構造に興味をもつ人も、細部にこだわる人もいるだろう。どちらも自分が全体をわかることはできなくても、自分の認知を超える、ヒト意識の総体が存在することは感じ取れる時代になった。
 地域や国などと並んで、グローバルな公的空間が成立しようとしているのである。たまたまここ1万年余の間、例外的に温和な気候に恵まれて、ヒトは大急ぎで文明を発達させて、現在に至っている。いつか氷河期が再来することは確かだし、長い時間で見れば恐竜を絶滅させたような小天体も来襲するだろう。温暖化が暴走すれば、地球の金星化さえありえないことではない。巨大火山爆発(スーパーエラプション)や新型ウィルスはもっと確率の高い脅威である。ヒトは複雑化の頂点にいるからもろい。発達した意識は希少である。グローバルな公的空間の成立によって、意識をもつヒトという存在を維持する課題は現実味を帯びて見えてくる。総体としてのヒトの意識が挑むべきフロンティアが姿を現す。貧困の絶滅と格差の是正は、その中の緊急性の高い課題のひとつである。
 世界全域で生活必需品がいきわたり、ある程度くらしが安定してくれば、国家間の経済競争は緩和され、グローバルな個人間の競い合いが盛んになるだろう。物財の豊かさではなく、情報の豊かさを競うのである。それぞれの伝統や自然の、そして個人の差異から価値を汲み上げたさまざまな情報の送・受信や、マクロな宇宙やミクロの次元や生命・意識の意味などの「ムダな」知の探求が、人々の情熱の対象になる。心のグローバライゼーションは豊かなフロンティアを現出させることだろう。(おわり)