正解がわからないのも科学の特質

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 写真は10月末の野付牛公園の落ち葉です。
 
 岩波の雑誌『科学』06年9月号に、千葉和義という人が書いたおもしろい記事がありました。そこ

に、大学の科学探求能力養成講座の、こんな授業例がが紹介されています。参加者は、中の見えない箱を

配られ、入っている小さな玉が転がったりとまったりする気配から、箱の構造を推測するように求められ

ます。グループに分かれて一人ひとりの説を発表し、議論を経てグループの結論を出し、今度はグループ

ごとに発表してそれぞれの説を比較しあう、という演習です。おもしろいと思ったのは、箱を開けてどの

説が正しかったかを確かめることは、最後まで許されないことです。授業案の作成者が、「正解がわから

ないのも科学の特質である」と解説していたそうです。

 わたしもちょっと虚を突かれたような気分になりました。人文科学や社会科学はともかく、自然科学は

真理を明らかにしてくれている、ばくぜんとですがそんな思い込みもあったようです。きちんと考えてみ

れば、そうではないことはすぐわかります。例えば2・3百年前の西欧の学者たちは、宇宙の始まりは何

千年か前だと、信じていました。だんだん億年単位というところに来て、20世紀の後半には150億年

という説で落ち着いていたのが、いまでは137億年とされているようです。ニュートンの重力理論は、

アインシュタイン相対性理論が出て、あるスケールで近似的に成り立つ理論だったとわかりました。そ

相対性理論にしても、量子重力理論が完成すれば、修正されるでしょう。

 科学は、根拠にもとづいた論理的な推論によってだんだんと真理に近づいていく方法であって、絶対的

な真実を語るものではないのですね。そして、根拠にもとづいて合理的に推論する能力が、科学的リテラ

シーということになります。だとすると、学校で「オレの説明していることは真理だ」みたいな授業をし

てる先生は、科学がわかっていないわけです。ま、わたしは前から、星占いや血液型性格わけみたいなイ

ンチキが広がっているのは、学校に科学がないからだって、思ってましたけど。