フィンランド・モデルは好きになれますか 23

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第一部
 そらさん、そういえばこちらに来てからサルスベリの花は一度も見ていませんね。やはり気候がちがうからでしょうか。こちらではもう秋が始まってるみたいです。昼間は海水浴ができる暑さでも、夕方4時過ぎから朝の9時近くまではけっこう涼しくなりました。3時ごろにタオルケット一枚では寒くて目が覚める日もあります。
 紋別では白花ハマナスを見ました。オムサロ原生花園ではふつうのハマナスは盛りでしたが、白花は終わりかけていました。紋別港南端にあるカリヨン公園ではまだ咲いていましたので、写真を載せました。カリヨンというのは、とがった塔につるされた鐘のことでしょうか。澄んだいい音色でした。


        フィンランド・モデルは好きになれますか 23
3 フィンランド人の精神生活
(2) 個人としての個人
 個人としての個人とは何か。人が身を置く二つの領域のうち、他人の自由を侵害しないかぎり、それがどんなものであれ、自分の美意識や価値観を貫いていい私的領域(私、プライヴィット)にいる状態のことだ。ここでは、「わたしは好きじゃないけど、わたしを引き込まずにあなたがそれをするのは構わない、」となる。二者の間で、互いの同意で行われる行為は、この領域に属する。ただし、暴力や恐喝や詐欺で相手から得た同意や、子どもから暗黙の強制や誘導で引き出した同意は、同意とは認められない。社会のなかの個人は、複数の他者との間で形成された合意が、行動を規制し導くべき、公的領域にいる。契約は法や道徳規範によって有効になるから、二者の間でも公的な要素がある。私的領域で、自分の美意識や価値観を他人に押し付けたがる人を、わたしは権威主義者と呼ぶ。

〔個人を自由にする社会保障
 理想的な社会保障が行われている国があるとすれば、そこでは、個人としての個人のくらしが展開される場が、市民のすべてに完璧に保障されていて、しかも私的生活の中身には公からどんな干渉も受けないだろう。フィンランドではこの方向をめざす底流が強いようだ。この国の社会保障には、個人と政府・自治体の間の、公明正大な金銭契約といった趣が感じられる。所得税、消費税、保険料を支払い、国防義務をはたす対価として、私的生活の基盤に破綻が生じそうなとき、破綻をつくろうために金銭、現物、サービスの給付を請求できる、という契約である。
 日本の社会保障には、恩給や生活保護という言葉が残っているように、お上(おかみ)からの恩恵のにおいがある。そして、恩恵を受けるのだから価値観や私生活への干渉も受け入れなさい、というような。保険会社に入院給付金を請求するときは、当然の権利として請求できるのに、生活保護申請にはためらいが付きまとうことが多い。各種手続きは煩雑で、窓口で屈辱感を味わわされたりもする。だから、職安を敬遠する人も、生活保護を申請せずに餓死する老人も、現れる。
 ボランティア活動(非営利市民活動)にさえ、恩着せがましさが感じられることがある。序列意識の残る日本の社会では、無償が恩恵の意識を喚起しやすい。かつては学校教師を聖職、塾教師を賎業とみなした時代もあった。公がかかわると、金銭契約とはちがう序列感覚が生まれてしまう。ボランティア活動が奉仕活動と言い換えられたりする。公への奉仕のニュアンスを付け加えることで、強制が可能であるかのように見えてくる。日本的な湿っぽさを断ち切るには、経済格差を所得再配分で補う視点を前提に、有償契約関係を拡大すべきなのだ。
 無償労働の典型が育児、介護、その他の家事労働である。フィンランドは介護や育児に有償サービスを選択できる制度を整備して、私的生活の自由を拡大した。この国では1970年に子の老親扶養義務が法的に解消された。高齢者は、一人あるいは夫婦で支援を受けて自宅でくらすことも、好みの施設に入居することもできる。成人した子は自分や配偶者の親を扶養したり介護したりしなくてもいい。実際、成人した子が親と同居することはほとんどなくなり、三世代同居はごくまれな例外になっている。子は18歳になれば親と別居するのがふつうだ。収入がたりなければ住宅費助成がある。未成年の子の養育では、自治体保育サービス、自宅育児手当、民間保育サービス手当の三つから、親の価値観に合うものを選んで、支援を受けられる。()
 職業専門教育での分野別男女生徒の割合を見ると、技術・交通では女性が14%なのに、社会福祉・保険・スポーツでは女性が91%である。同じく学位取得では女性が、技術系では17%、サービス分野では72%、保険・社会福祉分野では89%である () 。家庭の無償労働であった育児・教育や介護の有償化、それに医療・看護・保健サービスの拡充が、女性の就業機会を増やしていることがわかる。自分の所得と社会保障があって、夫に扶養されなくても生活できれば、婚姻でも事実婚でも離婚でも選択する自由が広がる。実際、この国の離婚率は高く、1970年に結婚した夫婦の三分の一はすでに離婚し、96年に結婚した夫婦の半分が離婚すると予測されている。事実婚は世帯総数の20%である。離婚、離別、事実婚を経験した後の婚姻もまた多い () 。女性と同居する高校生の息子を自慢そうに語る母親のはなしが、┐望匆陲気譴討い襦
 (この項続く)