フィンランド・モデルは好きになれますか 28

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第一部 
 サイタマンさん、わたしも格差の問題には関心をもっています。フィンランドの次のテーマにするつもりです。先進国と途上国(特にアフリカ)の格差、一国内の富裕層と貧困層や地域間の格差。私的な精神領域で個人が自由であるためには、ユーザーの消費動向を直接供給体勢に反映させる仕組みがだいじだと思います。そのためには競争がなくてはならないでしょう。所得再配分や供給への官の関与で、必要なものと許されないものを仕分けしなくては。それに、世界で国民の満足度が一番高い国がバングラディシュだという調査も、興味深いものです。ドル換算された所得格差と精神的な満足度はまた別なのでしょうね。格差の考察には、経済や政治だけでなく、人の生きざまの文学的・哲学的理解まで絡むような予感があります。

 道東はここ数日雨が続いています。土日は晴れて週明けはまた雨の予報です。秋の長雨なのでしょうか。埼玉ではもう少し先だったような気がします。来週は知床、野付半島、尾岱沼あたりの写真を撮りに行きたいと思っていますが、出かけられるような天気の日があるかどうか。

 せせらぎ公園脇の林で散策路を登っていたら突然がさがさ音がして、見回すとリスが木を駆けていました。振り返えると後ろの木にも。木の葉で暗く、うまく撮れませんでしたが、いちおう載せます。

第二部
         フィンランド・モデルは好きになれますか 28
4 福祉と経済
 
 (1) 社会保障の経済効果(承前)

〔日本の行方〕
 日本はかつて、旧社会主義諸国ほどではないが、資金と資源の配分に官が関与し、大規模事業をいくつも公営する、大きな政府路線をとっていた。序列意識と官尊民卑意識で支えられた、官を頂点とする官民一体の「日本国株式会社」が、経済成長の機関車だった。ところが供給が需要を上回る豊かな社会になって、システムの欠陥があらわになる。生活必需品が行き渡って、一人ひとりの多様な好みや価値観が市場を動かす。情報社会では「右へならえ」の画一主義は機能しない。会社は管轄官庁の顔色をうかがうより、ユーザーに直接向き合わなければならない。人格関係と融合する上下の秩序が緩み、内部の支えあい・庇いあいが機能不全になり、腐敗と非効率が露呈する。
 社会には情報・サービス経済の影が濃くなってきた。経済のこの趨勢が序列感覚に支えられた旧来のシステムと矛盾する。それなのに、官は本来非効率という神話で、矛盾の正体が覆い隠された。公ではなく、腐敗しやすく競争のない硬直したシステムが非効率なのだ。そのことが見えずに、「官から民へ」で解決すると錯覚した。現在の日本は、けしてアメリカにはなれない身のほどをコンプレックスに感じながら、それでもアメリカに倣(なら)おうとして、公の経済機能を縮小させている。そして、そこに生じる裂け目を、国家意識(愛国心)を鼓舞することでふさごうという、空しく危険な道を歩きはじめている。
 わたしは基本的には大きな政府を肯定する。ただし、次のような公的空間のなかでなら、という条件をつけて。契約された職務権限と職務義務にもとづく秩序が、社会のなかの個人の行動規範として確立されている。職務義務遂行能力に欠陥があれば、公的ポストから速やかに放逐される。個人としての個人(人格的親和関係)が公的空間に入り込むことも、公が個人としての個人の領域に干渉することも、厳しく禁じられている。それで汚職・腐敗と権威主義の温床がなくなる。公と私の接点では、活発な競争が推奨され、ユーザーの消費動向で資源配分が再編されている。そういう公的空間のなかで、大きくても清潔で効率的な政府が経済構造転換を主導すれば、日本にも未来が開けるとわたしは信じる。
 フィンランドは90年代後半から教育改革の成果が現れて、情報・サービス経済が必要とする人材供給が軌道に乗り、経済競争力で世界一になった。教育の公費負担と制度改革には、必要な人材を供給する経済効果がある。次の項はこの点を見ていく。
 (この項終わり)