フィンランド・モデルは好きになれますか 36

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第一部
 野生の花には、人が手をかけたものよりずっと長く、咲き続けるものがあります。ムラサキツメクサは初めて撮ったのが6月だったと思います。一枚目の写真は9月です。二枚目は9月に入ってから見るようになった、ヤブハギです。

第二部

           フィンランド・モデルは好きになれますか 36

  5 課題

(2)  情報と競争の社会で人の心は(承前)

フィンランドのホームレス〕
 以下でのフィンランド事情は┐傍鬚辰討い襦
 目莞ゆみは、フィンランドにホームレスはいないという公式見解に疑問を投げかけ、公園にたむろし、「奴隷(=勤労者)たちが仕事から帰る様子」を眺めている人々を、次のように描写する。
 
 ベンチにいるのはみな顔見知りだ。オットもカッレもヴィッレもいた。職場や他の場所で出会ったり知り合った人たちで、一日中こんな風にして過ごしている。人生のどこかの段階で社会の歯車から外れた人たちだ。一時的な失職者もいれば、いつまでも失業している者もいる。
 ホームレスは、冬の間はいつもどこかに消え、春になると公園に集まり、地面が深くから凍結し、ベンチも冷たいが、風の当たらない日向(ひなた)を探しては、町の生活を眺めながら、古新聞を読んだり宝籤(くじ)をしている。(中略)もちろん皆きちんとした人たちなのだが、社会の歯車から外れた無念さで、物価が上昇したり、昔の仕事仲間の給料が上がったなどと聞くと、何とはなしに悔しくなり、口汚く罵(ののし)ったりするのだ。(後略)

 一般市民からの抗議で警官が巡回することもある。それに、失職者にも住宅困窮者にも手厚い公的支援があるから、抜け出そうとすれば抜け出せる。それでも公園にたむろしているのは、「確信犯的ホームレス」だからだと、目莞は考えているようだ。
 日本のホームレスには、多額の借金で家をなくしたとか職が得られないとかの経済的理由で流浪していて、できれば抜け出したいと思っている人が多いだろう。だが、どの先進諸国にも、競争に駆り立てられてあくせくする賃金奴隷の生活にうんざりして、不健康な日々が体を蝕むとわかっていても自由なくらしを捨てない、「確信犯的」なホームレスもいる。経済的理由と気持ちの問題のどちらなのか、気持ちでも、どこまでが挫折への居直りでどこまでが本当の信念なのかは、当人の心のなかでもあいまいかもしれない。外からは解釈しだいでどうとでも言えそうだ。
 ただ、高度社会保障社会では、経済的理由より気持ちの問題が中心に来るはずだ。社会保障の財源は、主として消費税と、勤労所得から差し引かれる社会保険料および所得税である。長期間経済が停滞すれば、税収が低下し保険料にも差し障る。その一方で社会福祉の対象者は増えるから、制度が破綻する恐れがある。高度社会保障は経済繁栄を必要とする。先進国の農業や製造業にみられる単純な労働は、労賃の安い途上国と時給あたりの労働生産性で競争すれば、圧倒的に不利である。純経済的競争で優位に立つ可能性があるのは知能産業だから、経済の情報・サービス化を避けるわけにいかない。また、企業間や労働者間の競争を盛んにして、経営効率化と労働生産性向上を達成しなければならない。学校や職場に創造力と技能を競わせる圧力が強くなる。
 それに、消費者が自分の個人的な好みにこだわるほうが、情報・サービス需要が伸びる。こだわれば要求はしだいに高度になる。家族、集落、学校、身分的・職業的団体など、自分が属するメンバーが固定された集団に強い同調圧力があれば、個人、特に劣位の個人の好みは抑制される。情報・サービス化は家族や他の固定集団の結合力弛緩と同時進行である。
 競争が激しく裸の個人が露出する社会は、心にかかる負荷が大きい。フィンランドは自殺者が多く(世界13位、ちなみに日本は10位)、特に若い男性の自殺率が高い。精神的障害も多く、子どもと青少年の15から20%が該当し、7から8%は治療が必要だという。薬物依存も多い。経済的理由でホームレスになった場合は、本人の解決意欲が旺盛で、適切な情報と支援があれば、ふつうの社会生活に復帰できる。フィンランドでは情報や経済面での支援はよく整備されている。だが、競争と過剰な情報に倦(う)んで萎(な)えた心に、意欲を回復させる支援は、経済支援よりずっとむずかしい。
 (この項続く)