「もの」という言葉の文化

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 いま外は霧です。カボチャの雌花に花粉をつけていたら、ぱらぱらと雨音が。空は明るいのでまともに降らず、やがて照るでしょう。そしたら水撒きをしなくては。昨日も室内は35度を超えました。今日もまた据え付けなかったクーラーを悔やむのかな。
 話は変わって「もの」という日本語のことです。「もの書き」「もの心」「物思い」「ものがたい」「ものづくり」「ものものしい」「もののけ」「物語り」など。いまもさまざまなところで使われている「もの」という言葉を、たとえば英語の一つの単語に置き換えることは、できそうもありません。
 大野晋という人が『源氏物語もののあはれ』という本(角川ソフィア文庫)で、この言葉の意味を分析しています。彼は、「世間の決まり」「儀式、行事」「運命、動かしがたい事実・成り行き」「存在」「怨霊」の五つに大別して、その用例を紹介しながら、「もののあわれ」の精神世界を浮き彫りにして見せてくれます。「もの」は、一冊の本が書けるほどの広がりをもった言葉、一つの文化ですね。
 古典的な用法で使われなくなった「もの」も多いのですが、残った「もの」だけでも、十分に広く複雑です。わたしのようにもの書きとはいえない者でも、複合語や単語として使うとき、「もの」「モノ」「者」「物」のどの表記を使うか、しばしば悩みます。母語が日本語でない人だと、この言葉の広がりを理解するのに苦労するでしょうね。
 夜中に目覚め、ぼんやり物思いにふけっていたとき浮かんだテーマの一つを紹介しました。
 
 もう庭の霧は晴れて薄日が射し始めています。今日の写真は桜ヶ岡(昨日はまちがって丘と書いてしまいましたー訂正)のハマエンドウセイヨウノコギリソウ、それにオムサロ原生花園のエゾカワラナデシコです。