キラキラと舞う
写真のキラキラをダイアモンドダストと思われませんでしたか。わたしは初めそう思いました。でも時刻はお昼
近く。今までこのあたりでダイアモンドダストに気付いたのは日の出直後で、下から湧き上がるような感じがあり
ました。この日のはゆっくりですが下に舞い落ちています。そして光っていないところでは白っぽく見えます。そ
れで、ごく細かい雪の結晶ではないかと。空がよく晴れていたので、明るく輝いていたのではないでしょうか。
政治の現在と未来についての感想 5
―――「愛」を知らない幸せ
フィリップ・アリエスが『子どもの誕生』で論証したように、西欧でも中世までは「子ども期」という概念はなく、
子どもは小さな大人として扱われました。江戸時代の日本も同じです。渡辺さんによれば、子どもは、仕事、
遊び、祭り、お芝居、花見、寺まいり、夜更かし、会話など、あらゆる面で大人の生活に参加し、淫猥な芝居、
春本、春画、性的玩具からも隔離されませんでした(397-403頁)。幼い頃から大人社会についての知識を蓄
え、ゆっくり練習をつんで、6歳から10歳ほどのある日突然、周りからちやほやされるわがままな暴君から、
一人前の礼儀正しい社会人に変身します(396頁)。
わたしは小学校に入る前後に、ほぼ同世代の男の子や女の子何人かと空き家の屋根裏に忍び込んで、「お
ったようで、誰にとがめられたわけでもないのに、二度と繰り返されませんでした。自然な性的欲求が芽吹くま
では、性器に身体の他の部分とちがう特別な意味はありません。
そして性欲を穢れや罪に結び付けて無意識の精神領域に抑圧することのない社会の人は、いくつになって
も裸体や性欲を恥じる意識と無縁です。江戸時代の庶民はそういう社会で生きていました。だから行水や混
浴の風呂で、あるいは授乳や歩いたり働いたりする必要から、裸を晒すことは平気です(296-314頁)。身近
に春本、春画、性的玩具、信仰対象としての陰陽物などが氾濫しており、子どもも若い娘もためらわず手に取
ります(315-318頁)。渡辺さんは江戸人の性意識についてこう書いています:「人間の欲望を一種の自然とし
て受け入れる(319)」。「男女の営みはこの世の一番の楽しみとされていた。そしてその営みは一方で、おおら
かな笑いを誘うものでもあった。(中略)当時の日本社会に、性に関するのどかな開放感がみなぎっていたこと
は、何度強調しても足りない事実なのだ(322頁)」。
それに対し、当時の来日欧米人たちはこんな感想を書き残しました。「私が見聞きした異教徒諸国の中で
は、この国が一番みだらかと思われた(296頁)」。「日本人は世界で最もみだらな人種の一つだ(298頁)」。「こ
の人たちの淫奔さは、信じられないほどである(320頁)」。「日本女性は言葉の高貴な意味における愛をまった
く知らない(同)」。渡辺さんは、「日本人は愛によっては結婚しないというのは、欧米人のあいだに広く流布され
た考えだった(320頁)」として、「夫婦関係は家族的結合の基軸であるから、「言葉の高貴な意味における愛」な
どという、いつまで永続可能かわからぬような観念にその保障を求めるわけにはいかなかった。さまざまな葛
藤にみちた夫婦の絆を保つのは、人情にもとづく妥協と許しあいだったが、その情愛を保証するものこそ性生
活だったのである(321頁)」と書いています。
わたしは渡辺さんより踏み込んで、こう主張します:江戸期日本人が「愛をまったく知ら」ず、のどかに「みだ
ら」でいられたことが、欧米人が当時の日本を「地上で天国 ( パラダイス )あるいは極楽 ( ロータスランド )に最も近づいている国(21頁)」と
賛美し、江戸人を「幸福で気さくな、不満のない国民(74頁)」と書くことができた、一つの大きな要因だ、と。あ
らゆる精神の病は、無意識の領域に抑圧された性衝動から生じるというフロイト理論は、近代欧米文明の産
物です。性は「私ごと」の中心部をつくる要素の一つ。中世キリスト教が構築した「愛」というフィクションは、性
の抑圧を教義に取り込み、公が私を侵食する強力な武器になりました。近代欧米文明はこのフィクションを受
け入れて発展し、前近代の諸地域にも輸出しました。この文明が、性の抑圧によって増幅される不幸の震源
地であるからこそ、フロイト理論を生み出すことにもなったのでしょう。わたしも今になって、自分が愛と公にま
つわるイデオロギーにどんなに深く侵されていたか、しみじみわかりました。(続く)