軒下の造形

 ゆめらじさん、そうですね、情報に主体的に向き合うより、押し寄せる情報に心を乱されているばかりのような。
 
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 つるつるのつららがおびただしく垂れ下がるのもきれいだけれど、ストーブ排気口上の軒下にできる鳥の羽の
 
ような氷柱に光が映えるさまも、なかなかおもしろい光景です。
 
 
          政治の現在と未来についての感想 4
                        ―――江戸期社会は「子どもの楽園」
 
 30年ほど前、妻の妊娠を正式に告げたのは市立病院の医師でした。妻は母子手帳を交付してもら
 
い、何度か検診を受けたり、母親学級に出席したりして、市立病院で出産しました。その後も定期的に
 
乳児検診があり、また保健婦がわが家を訪れることもありました。「赤ん坊は泣くのが仕事だから、す
 
ぐに抱いたりしないで。そうでないと抱き癖がつくから。時間を決めて授乳しなさい」と、彼女が言ったの
 
はわたしも聞いています。
 
 当時わたしがどれだけ妊娠中の妻をいたわったか、赤ん坊の世話や家事を分担したかを振り返る
 
と、じくじたるものがあります。まあそれはともかく、わたしたちが江戸時代の庶民だったらどうだったか
 
想像してみました。病院も保健所も公的な基準にのっとって建てられ、運営されています。医師、看護
 
師、助産師、保健師は国家資格です。江戸時代には公的な基準や資格はありません。妊娠したとわ
 
かれば、親戚やご近所・知人に祝福され、さまざまな知識や支援を提供されたでしょう。出産を介助す
 
るのは、駆けつけた親戚、隣近所のおかみさんたち、それにたぶん顔見知りの産婆さん。
 
 初めての育児に不安な妻にいろいろ助言するのも彼女たち。はげまし、支援、助言のどれも、わたし
 
たち夫婦のくらしぶり、妻の肥立ちぐあい、息子の育ちなどを具体的に見て提供されます。わたしたち
 
も相手の性格や経済状態などを知っています。日ごろその子育てに眉をひそめている相手からの助
 
言なら聞き流すし、余裕のない相手にはできるだけ世話をかけないように気を使います。「私ごと」の世
 
界での共助はそうなります。互いの凹凸にできるだけ沿うように行われる共同は、個人の自由を損なう
 
ことが少なく、心にあまり強い抑圧をもたらしません。
 
 現代では、わたしたちと病院や保健所の医師、看護師、保健師などとは、たいていお互い赤の他人
 
です。相手はわたしたちのくらし向きや考え方を知らないし、それには興味をもちません。提供されるの
 
はマニュアル化された支援と、その時の公共社会で標準的な知識です。そして、親戚やご近所・知人
 
は、わたしたちが十分に公的な支援を受けていると確かめた上で、「おせっかい」を慎みます。現在の
 
「先進国」では、「私ごと」を生きる個人が裸で行政や公共イデオロギーに向き合うのが一般的です。そ
 
して現場の公務員は、〈他の人(地域、会社などなど)との兼ね合いがあるから、あなただけにそれはで
 
きない〉と言わなければなりません。
 
 前回紹介した本で渡辺さんは、「子どもの楽園」というタイトルの第十章で、次のような外国人観察者
 
の言葉を引用しています。「子供たちは、他のどこでより甘やかされ、おもねられている(390)」。「日
 
本が子供の天国で・・・・。子供達は朝から晩まで幸福であるらしい()」。「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞く
 
ことはめったになく、・・・・子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ(394
 
)」。「出会う女性がすべて、老若の婦人も若い娘も、背中に子供をおぶっている」、「子どもが六人い
 
れば五人まで、必ず赤ん坊を背負っている」(404)。「日本の子どもは三歳ないし四歳になるまで完
 
全には乳離れしない(405頁)」。江戸時代がこういう社会だったのなら、〈赤ん坊が泣いても抱かずに、
 
時間決め授乳をしなさい〉などと言ったら、まわりじゅうからひんしゅくを買うにちがいありません。ところ
 
が今は逆です。添い寝におんぶでスキンシップいっぱい、下の子ができるまで母親の乳房を許され、
 
好きなだけ甘やかされた子どもはやさしい大人に育つ、などと主張したら、一笑に付されるでしょう。
 
 〈甘やかさない、厳しくしつける、大人社会を邪魔させない〉という育児方針は、明治中期以後、欧米
 
から国家によって輸入され普及した、公的イデオロギーの一種だと思います。このことは、同じ頃か
 
ら来日外国人による下層日本人賛美が影を潜めるようになるのと、無関係ではないはずです。(明日に
 
続く)