明るい氷海

 
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 昨日の写真と比べてください。たった3日で岬を囲む海の氷がこれだけ発達していました。も
 
とも次の日はその大半が沖に去ったようです。美幌でも零度前後まで気温が上がっていたか
 
ら、海は南風だったのでしょう。近年の海氷は気まぐれです。
 
政治の現在と未来についての感想 3
                        ―――江戸時代の民衆は幸福だった
 
 『逝きし世の面影』という本があります。わたしが読んだ(平凡社ライブラリ
 
版で)のはつい最近ですが、もともとは1998年の作品です。著者は渡辺京二
 
主として日本を訪れた外国人が残した数多くの記録をもとに、江戸時代後期から
 
明治初期にかけての民衆の生活を活写しています。読んでいると、幸福で満足し
 
ていて、礼儀正しく親切で純朴、たくましく健康で性を謳歌し、美しい肉体と容
 
姿をもち、人なつっこく陽気で冗談好き、ほとんどいつも、大火や大津波の直後
 
でさえも、笑っていた当時の民衆の姿が彷彿としてきます。それまでわたしは、
 
江戸時代の民衆は専制的な幕藩政府の苛酷な支配・収奪の下で、貧しく汚辱にま
 
みれてくらしていたというイメージをもっていました。それが目からうろこ。
 
まは、江戸時代の民衆は現代人よりはるかに幸福だったのだと、信じています。
 
 『ムダの効用』を書き進めるうちに、人々の日常を不満の多いものに変えたの
 
は、発達した農耕ではないかと、思うようになっていました。見も知らぬ人々の
 
大規模な協働を必要とし、多くの非生産者を養えるほど生産性が高くなったか
 
ら、と。ところが、農民主体の江戸時代の民衆が、来訪外国人の心をひきつけた
 
と書かれています。ですから読みはじめた当初は、眉につばの警戒心もありまし
 
た。しかし読み進むうちに、主として賛美されているのは武士でなく、下層の民
 
衆であることに気付きました。そして渡辺さんは、彼らの身の回りには公権力が
 
ほとんど浸透していなかったと論証しています。厳格な序列秩序と格式に縛られ
 
ていた支配層は、庶民のように生き生きした姿で描かれてはいません。社会の後
 
進性を嘆き、新しい国を求めるローニン (尊王倒幕の志士) たちも、来訪外国人
 
の評価が低かったようです。
 
 当時在日した外国人による、こんな類の言葉が引用されています。社会は専制
 
政府の存在をほとんど意識していない(263)。下層民は上層民と関係がない(26
 
4)専制主義は名目だけで実際には存在せず、将軍や大名は何の実権もなく、
 
見せかけの権威があるだけ(275)。公職についていない者はかなり自由な生活
 
を楽しんでいる(276)。「なぜ主人があんなにも醜く、召使がこれほど美しい
 
のか」(277)。民衆は、大名行列を避けたり、通行中平然と仕事をしたりして
 
いて、「この権力者をさほど気にしていない」(288)などなど。そして渡辺さん
 
は例を挙げて、江戸時代の町には一種の慣習法的権利としての自治があって、幕
 
藩権力もそれをみだりに侵害できなかった、と語っています(269)。さらに、
 
日本人歴史家・佐藤常雄の次のような言葉を紹介しています。「農村には原則と
 
して武士は存在していなかった。」「年貢の徴収は村請負というムラの自己責任
 
に依存していた。」「ムラは・・・・自分たちのことは自分たちで処置するという自
 
治組織の性格を帯びていたのである。」(274)
 
 当時日本に来た欧米人は、南アジア植民地の下層民や奴隷状態の中国農民を知
 
っていました。だから彼らには、徳川期農民の年貢や小作料がずいぶん軽い負担
 
に見えたようです。武力を独占していた幕藩権力は、序列秩序に公然と挑戦する
 
者には苛酷な報復をしました。しかし下の者が平伏など建前上の儀礼を果せば、
 
「私ごと」の領域にまで踏み込んで干渉することはあまりなかったようです。ムラ
 
や町の自治は、顔見知りの者による仲裁と同じ「私ごと」です。幕藩政府首脳の
 
節約令、贅沢禁止、風俗粛清などの「改革」や「取締り」も、民衆が首をすくめ
 
ていれば、下僚の「お目こぼし」や「内分に」で、実害をもたらすことなく民衆
 
の頭の上を通り過ぎたのでしょう。まあたまには、上司の「顔を立て」ようとす
 
る下役に、「みせしめ」にされる人もいたと思いますが。多くの歴史家は、江戸
 
人が書いた文献の解釈に依存し、建前をまともに取って、陰鬱な時代像を描いた
 
のだと思います。文献は少なくとも知的には、上層に属する人が書いたもので
 
す。それに文章は話し言葉より証拠になりやすいので、本音より建前が前面に出
 
ます。
 
 けっきょく、発達した農耕と文明の世にあっても、公権力と無縁で自尊心を傷
 
つけられることなく、身体から生じる欲望に忠実なまま、好奇心・創造力・美的
 
関心を満たし、親しい人たちとともにくらすことができれば、人は朗らかに満足
 
していられるのではないか。そんな思いで身辺を見直して愕然としました。公的
 
な制度と理念にがんじがらめになっている自分を発見したからです。(明日に続
 
)