9月の海岸草原

 サイタマンさん、トリカブトの毒矢を受けたヒグマは即死はしないけれど、よたよた逃げてやがて倒れます。狩
 
人はその跡をたどって死骸を確認し、集落に戻り人を集めて運んだようです。毛皮や肝は誰が取り、肉はどう分
 
けるか決まっていて、子ども、老人、病人など、手伝わない人も必ず分け前に預かったのでしょう。近代資本主
 
義以前の社会では、非常時でなければ、働きに応じて取るという原則とともに、必要に応じて取るという原則も生
 
きていたと思います。
 
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 オムサロ原生花園稚内に通じる国道とオホーツク海に挟まれた海岸草原です。草原のなかの遊歩道に入る
 
と、小高い砂丘に阻まれて海は見えません。葉陰では野鳥が囀っていますが、繁殖期の春と比べると数は少な
 
く、その姿は一回ちらっと見せただけ。陽が当たる遊歩道の縁に咲くエゾノコギリソウは薄いピンク色です。
 
 さわやかな風が渡り草叢を波が走ります。病院で血圧を測るとき、気持ちを落ち着かせるために思い浮かべる
 
のがこの風景です。沼やネイチャー・ビューハウスの建物はじゃまにならないのですが、国道沿いなのが難で
 
す。もう少し離れていて通る車が視界に入らなければもっといいのですが。
 
 和人が進出して開発が進む前は遺跡のある丘から海までが一続きで、その間には獣道や踏み跡のような小
 
路があったと思います。縄文人オホーツク文化人もアイヌも、獲った海の幸、摘んだ春の若芽や秋の実、掘
 
ったユリ科植物の鱗茎などを、その小路を通って集落に運んだのでしょう。