燃え立つ霧氷

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 本州はかなり南でも雪になったようですね。美幌ではきのう、春先のようにぐったりした雪景色が、陽

に照らされていました。でも狂った陽気もきのうまでで、いまは-12度になっていました。最低気温は

-16度台だったようですが、それでもあまり霧氷は着いていないみたい。雪面は沈まないほど凍結して

いるでしょうか。もしそうだったら、久しぶりに土手を歩いて見ましょう。

 写真は22日のものです。氷をまとった枝を透けて来る朝陽が、燃え立つ炎に浮かぶ木立を思わせる光

景を演出しています。初夏のお花畑や夏の紅葉とはちがう、しーんとした華やぎです。


 わたしたちの宇宙は、インフレーションとビッグバンによって生まれて成長している時空連続体であ

る。現在の定説はそんな意味の説明をしているとわたしは理解しています。この宇宙像は他の時空や時空

誕生以前の世界への関心につながります。また量子力学にかかわる理論家からは、プランク長(およそ1

0のマイナス33乗cm)の極微の世界では時間も空間も消える可能性が提起されています。多宇宙論

時空以前の世界の想定が、たわいのない空想として一蹴される時代ではなくなっているようです。わたし

たちの宇宙とはちがう物理法則が支配する宇宙や、時空のない世界を論じる仮説を、超宇宙論と呼んでお

きましょう。超宇宙論の世界は、ニュートン的な絶対時間に支配されてはいません。

 誕生してから137億年、消滅までは何兆年かの宇宙の時間。真空に仮想粒子が現れて対消滅する10

のマイナス何十乗秒で測られる極微時間。わたしたち個人の生涯は年月単位で語られます。人は宇宙時間

から見ればほんの一瞬のような短いあいだに、それぞれのドラマを完結させて人生を終わります。それで

も極微時間を単位に計算すれば、あきれるほど長命です。ヒトの意識は、生理的時間に支配されているに

もかかわらず、これらまったくスケールのちがう時間をすべて対象にしようとしています。絶対時間の圧

制から抜け出したいという願望が感じられます。

 超宇宙論が整備されて定説が姿を現したとき、意識はどのように説明されるのでしょう。意識は物理現

象の小さな一部に過ぎないとされるのでしょうか。それとも、ロジャー・ペンローズが言うように、意識

には物理的実在とは別に、それ自体の根拠があると明らかになるのでしょうか。どちらにしてもそのとき

は、超越的人格神を信じる世界宗教やさまざまなオカルティズム、それに世俗的な星占いや血液型による

性格判断などは、いま子どもの幼い空想が置かれている場所に押し篭められるのかもしれません。無神論

者であるわたしは、惜しいとは思いません。それでもこれらすべては、宇宙論や超宇宙論と同じように、

絶対時間の支配に甘んじたくないヒトの意識が産み出したもの。

 絶対時間を超えようとする人の企ては挫折を運命付けられています。しかし、ヒトの意識も同じなの

か、それは文明の揺籃期にすぎない現在では、まだ何とも言えません。