暮れなずむ森で

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 そろそろタンポポの時期ですが、2週間前はまだ福寿草が盛りでした。網走湖に沈む赤い夕陽を透かし

見ながら湖畔の森に作られた散策路を歩くと、木の下の乾いた草むらではいたるところに黄色く浮かび上

がっています。湿地に来れば丸く開いたフキの花と白い水芭蕉に主役が変わります。


〔新しい文明の姿を考える〕 

(3) 売って儲ける 

 文明以前に生物大絶滅を引き起こした環境変異は、ほとんどが地球と宇宙の物理現象が原因で、ヒトに

責任はありません。しかし今後も、わたしたちの文明を壊滅させる可能性のある自然起源の大災害に備え

ることなく、手をこまねいていていいのでしょうか。自然災害の他に、39億年の生物史から見ればほん

の一瞬のような1万年ほどの間に、全体的な見通しもなく盲目的に、文明を急激に高度化させたことから

生じている問題もあります。空気と水と土壌の汚染、廃棄物の蓄積、固定されていた炭素の過剰開放、生

物多様性の激減、人工衛星などをめぐる天空の戦争、テロと大量虐殺、貧困と飢餓、パンエピデミックな

どです。これらによっても、わたしたちの対応次第で、ヒト文明は危機に陥る可能性があります。

 文明は農耕牧畜と加工技術の普及で最初の加速がはじまります。前近代の農牧は基本的には自家消費が

目的で、余剰が蓄積と交換、それに租税にも充てられました。道具の加工は日常の生産と消費、それに戦

争と民衆支配に役立ちます。この段階の商業は、離れた場所の間で有無相補う物の交換を仲立ちして、利

を得るものです。農工民は自分の営みを、くらしのいろんな場面で自然に生じる人の必要に応える活動と

して意識します。商業は自然な必要からひとつ隔てられているため、従事者の直接の意識は「売って儲け

る」が主です。蓄積された利は商いの元手(財)と栄華を誇示する手段(富)の両面があります。本稿では富

と財を区別せず、ともに両面を含む意味で使います。

 商業を主要な産業とした地域や集団は別ですが、手工業が補助する農業が産業の中心となっていた前近

代の多くの地域で、自然な必要を満たす農工業は尊く、利の獲得を目的とする営みは卑しいという価値観

が生まれて根付きました。宗教と政治の支配者層は富を権力に従属させるために、生産者のこの意識を利

用します。初め富は権力に奉仕すべきものとされ、自立できませんでした。しだいに「売って儲ける」と

いう目的が農工業にも浸透し、近代になって財が自立します。現在では、権力によって富を私するのは不

正であるとされていて、権力が富に奉仕するのが常態です。

 商業からはじまった「売って儲ける」という目的意識は、生産を飛躍的に効率化させ、現代文明の礎に

なりました。「何をどう売り出せば儲けが大きくなるか、それを考えて実行しなさい。成功すれば勝利者

に、参加しなかったり失敗したりすれば敗者になります」。そういうメッセージが世界の隅々まで浸透し

ようとしているのが、経済のグローバル化であり、文明の現在です。その結果、農産物や工業製品だけで

なく、水、空気、サービス、情報、予測、エロス、情緒、資金、信用、リスクヘッジ、労働力など、でき

るものは何であれ商品にして、その商品に対応する欲望を作り出して儲けようと、人々は激しく競い合っ

ています。毛沢東派、ポル・ポト派、ある種の「共産主義者」、極右、それに反グローバル派などの一部

には、前近代の価値観への祖先返りを求めるようなところがあります。売って儲けたものが勝ちという価

値観がいつまでも人の心を支配するとは思いませんが、後戻りでは解決になりません。(続く)