-13度の朝景色

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 未明の気温が-13度を下回った朝、斜里岳に昇る朝日を木の間越しに眺めながら川原を歩いてから、

公園に行きました。氷で装った枝ぶりのいい木が新鮮な陽の光に輝いていました。


 非線形科学という言葉を見ると、難解な数式が思われて、腰が引けるところがあります。でも、複雑性

の科学と言い換えられると、少し食いつけそうな気がして興味がわいてきます。岩波の雑誌「科学」11

月号の「非線形という科学の見方」という特集のタイトルと、読みはじめた内容が、わたしに感じさせた

落差がそれでした。まだ最初の一篇(著者は蔵本由紀)を読み終えただけですが、次に進むのが楽しみでわ

くわくしています。

 素粒子→原子→分子→有機化合物→生命→ヒト→社会などのように、複雑性の階段を一段上るたびに、

前段に入る一個だけにはない新しい性質、法則、規則性が現れ(創発し)てきます。蔵本さんは、階段の出

発点を対象とする素粒子物理学と、わたしたちをとり囲む複雑なモノや現象が共通に、普遍的な言語であ

る数式で記述できることに感嘆しています。

 数学が現実世界を理解する道具であること。それを中学生か高校生のときに気づいていたら、わたしの

人生はまったくちがっていたのではないか。子ども・若者の数学の勉強を手伝いはじめた30代以後、わ

たしは何度もそう思いました。「何のために数学を勉強するの?」に納得のいく答えをしてくれる人がい

なくて、計算間違いの多い自分に嫌気がさしていましたので、高校の途中で数学を放棄しました。いまな

ら、あのとき自分が豊穣な知の世界の半分を捨てたのだとわかります。最近の中・高生は、そんな後悔を

しなくていいように、十分な機会を与えられているといいのですが、どうでしょう。

 蔵本さんの文を読みながら、久しぶりにロジャー・ペンローズのことを思い出しました。彼の『皇帝の

新しい心』(みすず書房刊 翻訳で500頁を超える大著)に出会ったのは、10年以上前のこと。全体の

約三分の二、数式と緻密な論理がかかわる部分は、ほとんど理解できないにもかかわらず、物理学とヒト

の心をつなぐ理解を求めて止まない彼の情熱と努力に、強い衝撃を受けた記憶があります。彼は、物質と

意識と数学論理の三つを、どれも他から生まれたのではない根源的な実在だと、主張しています。蔵本さ

んはペンローズに言及していませんが、二人の関心には重なるものがあるように感じました。