オオワシが帰っていた
を胸と尾が白い大鳥が横切ります。お久しぶりです、オオワシさん。街には雪がないので予期していませ
んでしたが、すでに湖は白く凍結しています。そりを引いた人があちこちで氷に穴を開けていました。た
ぶん魚を狙える水面を作ってオオワシを招くためでしょう。岸近い穴の周りにカラスやトンビやオオワシ
が集まっている場所を見つけて、私が急いで近づくと、たちまち散ってしまい、いくら待っても戻ってく
れません。やむを得ず倍率を最大にして、はるか遠くにたたずむ番(つがい)とおぼしい二羽と、一瞬木に
止まった一羽を撮りました。野生動物は素人カメラマンにサービスする気はないようです。
先日話題にしたS.J.グールドの『神と科学は共存できるか?』を昨日読み終わりました。次のよう
な箇所に出会ったのは、病院で、S字結腸に大きな潰瘍(悪性か良性かは生検待ち)があるので切除しなけ
ればならない、と宣言されて帰った後です。この文章が動揺しかけていたわたしの心を落ち着かせる効果
がありました。なぜでしょうね。少し考えてみます。
(前略)私たちが希求するのは、恵み深く、暖かく、包み込んでくれるような惑星、必要とするものを
提供してくれるように創造され、われわれが支配でき、喜びを得られるように構築された地球に身をお
くことである。(中略)しかし、あるがままの自然、私たちが出現して解釈を押しつけるようになるはる
か昔から、45億年にわたって地球に存在している自然は、わたしたちの願いに便宜をはかるつもりな
ど毛頭もなく、わたしたちを崇高な無関心さで迎え入れる。したがって、わたしたちに選択の余地はな
い。あらゆる旅のなかでもっとも困難な旅を、自分たち自身の力でやりとげるほかはない。もっとも不
可解で、同時にもっとも近しい場所―私たち自身という壊れやすい存在の内部―に分け入り意味を探す
旅である。(新妻昭夫他訳 187頁)
(前略)私はこれまでつねに、このような生命観は人を元気付けると見なしてきた―自由とその帰結とし
ての道徳的責任の源泉となるからだ。私たちは歴史の子どもであり、このきわめて多様で興味深い、理
解可能な宇宙において、私たち自身が歩んでいく道筋を確立していかねばならない―この宇宙は、私た
ちの苦悩に無関心な宇宙であり、したがって私たちに、自ら選んだやり方で繁栄し、あるいは失敗する
最大限の自由を与えてくれている。(同 218・219頁)