オオワシが帰っていた

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 12月7日のお昼ごろ、網走湖女満別湖畔に行ってみました。凍った水辺を歩いていると、突然目の前

を胸と尾が白い大鳥が横切ります。お久しぶりです、オオワシさん。街には雪がないので予期していませ

んでしたが、すでに湖は白く凍結しています。そりを引いた人があちこちで氷に穴を開けていました。た

ぶん魚を狙える水面を作ってオオワシを招くためでしょう。岸近い穴の周りにカラスやトンビやオオワシ

が集まっている場所を見つけて、私が急いで近づくと、たちまち散ってしまい、いくら待っても戻ってく

れません。やむを得ず倍率を最大にして、はるか遠くにたたずむ番(つがい)とおぼしい二羽と、一瞬木に

止まった一羽を撮りました。野生動物は素人カメラマンにサービスする気はないようです。


 先日話題にしたS.J.グールドの『神と科学は共存できるか?』を昨日読み終わりました。次のよう

な箇所に出会ったのは、病院で、S字結腸に大きな潰瘍(悪性か良性かは生検待ち)があるので切除しなけ

ればならない、と宣言されて帰った後です。この文章が動揺しかけていたわたしの心を落ち着かせる効果

がありました。なぜでしょうね。少し考えてみます。 


  (前略)私たちが希求するのは、恵み深く、暖かく、包み込んでくれるような惑星、必要とするものを

 提供してくれるように創造され、われわれが支配でき、喜びを得られるように構築された地球に身をお

 くことである。(中略)しかし、あるがままの自然、私たちが出現して解釈を押しつけるようになるはる

 か昔から、45億年にわたって地球に存在している自然は、わたしたちの願いに便宜をはかるつもりな

 ど毛頭もなく、わたしたちを崇高な無関心さで迎え入れる。したがって、わたしたちに選択の余地はな

 い。あらゆる旅のなかでもっとも困難な旅を、自分たち自身の力でやりとげるほかはない。もっとも不

 可解で、同時にもっとも近しい場所―私たち自身という壊れやすい存在の内部―に分け入り意味を探す

 旅である。(新妻昭夫他訳 187頁)


 (前略)私はこれまでつねに、このような生命観は人を元気付けると見なしてきた―自由とその帰結とし

 ての道徳的責任の源泉となるからだ。私たちは歴史の子どもであり、このきわめて多様で興味深い、理

 解可能な宇宙において、私たち自身が歩んでいく道筋を確立していかねばならない―この宇宙は、私た

 ちの苦悩に無関心な宇宙であり、したがって私たちに、自ら選んだやり方で繁栄し、あるいは失敗する

 最大限の自由を与えてくれている。(同 218・219頁)