残雪の小川
写真は3月31日の魚無川の表情です。
おとといの夕方、あられが降って一面に白くなりました。それでも、一日ごとに庭に黒々とした土の部
分が増え、雪の下からチューリップの尖った芽やイチゴ苗の緑の葉が顔を見せています。サンルームの鉢
の中では、カボチャの種も目覚めました。でもトマトはまだです。隣の人が室内で育てているトマト苗
は、緑の針を並べたようになっていました。育ったら分けてくれると言っていますから、ご好意に甘えま
しょうか。
埼玉にいたときとちがって、室内でメジャー・リーグ観戦と読書に明け暮れた日でも、土や動植物と仲
良くしている気分です。根が田舎者だからでしょうか、わたしにはいまの毎日がとてもぜいたくに感じら
れます。この町には似た気持ちの人が少なくないようです。若いときに埼玉で働いたことのある前の家の
人が、「都会は遊びに行く場所で、住むところじゃない、」と言っていました。確かに、遊びたい時期の
終わった年寄りのわたしには、土に近いくらしが落ち着きますね。
おとといの夕方、あられが降って一面に白くなりました。それでも、一日ごとに庭に黒々とした土の部
分が増え、雪の下からチューリップの尖った芽やイチゴ苗の緑の葉が顔を見せています。サンルームの鉢
の中では、カボチャの種も目覚めました。でもトマトはまだです。隣の人が室内で育てているトマト苗
は、緑の針を並べたようになっていました。育ったら分けてくれると言っていますから、ご好意に甘えま
しょうか。
埼玉にいたときとちがって、室内でメジャー・リーグ観戦と読書に明け暮れた日でも、土や動植物と仲
良くしている気分です。根が田舎者だからでしょうか、わたしにはいまの毎日がとてもぜいたくに感じら
れます。この町には似た気持ちの人が少なくないようです。若いときに埼玉で働いたことのある前の家の
人が、「都会は遊びに行く場所で、住むところじゃない、」と言っていました。確かに、遊びたい時期の
終わった年寄りのわたしには、土に近いくらしが落ち着きますね。