波に浮かぶ 教師の仕事

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 屈斜路湖の波に浮かぶ白鳥と鴨です。


 塾教師として30年余、教育問題を論じはじめてから20年余、いまわたしは教師の仕事をこう考えて

います。それは、「教え導く」のではなく、学びを援助すること。知識、技能、人格では、教師よりすぐ

れた人がたくさんいます。しかし彼らは学びを支援する専門技能をもつとは限りません。彼らの業績や行

動に導かれて学ぶのは本人です。いまは一般的な情報なら無料です。ターゲットがはっきりしていて意欲

があれば、特定の教師から「教え」られなくても、学ぶことができます。

 情報は入手しないと価値を判断できません。ある程度中身に接するまでは何をターゲットにしたいか、

何に意欲がそそられるか分かりません。だから教師という職業が成り立ちます。出会いを演出し、情報に

アクセスする手段を案内することで、学びを支援します。有能な教師は学ぶ意思を励まし、無能な教師は

その意思を萎えさせます。

 ターゲットを決め意欲をもつのは本人です。「教え導く」意図は、意欲をもてる対象との出会いの機会

を失わせることがあります。自分が心を動かされる分野の魅力を伝える努力をしながら、支援する相手の

心の動きを注意深く観察し、興味が動く分野の探求を援助する。一般教育の教師の仕事は、そういうふう

に定義すべきだと思います。

 それぞれの専門分野には、それぞれに蓄積された学習ノウハウがあります。すぐれた先達は、形成途上

の情報も、すぐれた学習技能ももっています。専門分野の学生は、自分が選んだ教師から、完成した知

識、技能だけでなく、学びの技術も盗むことになります。専門教育の教師は、すぐれた専門家・研究者で

あることが第一の資格です。