フィンランド・モデルは好きになれますか 34

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第一部
 写真は尾岱沼の野付半島側海域の海です。水深のちがいのためでしょうか、さまざまな紋様が浮かび上がっています。

 埼玉の知人が、借りた畑のことを書いた手紙をくれましたので、わたしも庭の畑の最近を書きます。
 いままでに収穫したトマトは300個くらいでしょうか。その半分はご近所延べ8軒に分け(押し付け)、100個は自分で生食し、50個は料理用に加工して保存しています。まだまだ取れそうなので、処分に悩む日々が続くでしょう。
 イチゴの植え替えがようやく終わりました。春に地面に下ろした二株から、新しい二番株、三番株がけっきょく100株ほど取れました。42株は露地に植え、24株は鉢に植えてサンルームに入れました。残りは隣の人が引き取ってくれましたので、元気な苗を捨てる心の痛みはなくなりました。
 ホーレン草は時期をたがえて何回か蒔いたのが、少しずつ育っています。知らないうちに裏の人が畑の片隅にネギを埋けておいてくれましたので、お礼を言ってカエデの下に植えました。葉先を摘んで使えば一年中使えるから、と言われました。
 この庭は、前に住んでいた人がコンポスト生ゴミをあちこちに埋めてくれ、とても土がよかったのだと思います。そのせいで、素人の一年目の出来としては、まあまあでした。それと、暑さが厳しくないからでしょうか、トマトでもホーレン草でも、収穫期が長いですね。埼玉では収穫できる時期がとても短かった記憶があります。

第二部
         フィンランド・モデルは好きになれますか 34

 5 課題
 
 (1) 経済の情報化・グローバル化(承前)

 〔労働力のグローバル化
 中小企業庁の「製造業の労働者賃金の国際比較」(平成16年度白書 付注2-2-3)によると、円換算で一ヶ月あたりの実質賃金は、日本が29.31万円、タイが1.84万円、韓国が1.45万円、中国0.9万円である(01年国際労働統計年鑑から)。また、日系現地法人の月あたり労働者賃金は、マレーシアが2.73万円、タイが2.24万円、インドネシアが1.32万円、フィリピンが1.89万円、中国は遼寧省で1.36万円、上海で2.2万円である(原資料は東南アジアが04年、中国が03年)。
 百円ショップというビジネスは、日本と東南アジア・中国の賃金格差で可能になる。ダイソーで売られているのと同種の商品を生産する日本の業者は、労賃などのコスト削減に努める一方で、品質のちがいをアピールする知的労働を重視しなければならない。途上国の労働者が自由に日本に来られるようになれば、高度な知識と創造力のいらない単純労働の国内賃金は低下する。経済のグローバル化は、先進国の単純労働賃金を、途上国の水準に向かって低下させる圧力になる。圧力に対抗して先進国の賃金水準を維持しているのは、最低賃金法や移民・外国人労働者規制などの経済外的な強制力である。
 その一方で、国際的なヘッド・ハンティングの拡大にともない、医者や情報技術者、経営や広告のすぐれた専門家などの、知的労働の賃金・収入は、途上国に住んでいても、先進国の水準にひきつけられる。国際水準ですぐれた能力を証明できれば、途上国の国籍も障害にならない。彼らは国内・国外の同業者との間で、個人の能力をめぐる、激しい競争にさらされる。個人競争の勝者には世界が開けているから、勝者が排外主義的になる経済的理由はない。先進国に住む能力に劣る知的労働者は、国境に頼りたくなるだろう。先進国の単純労働者は、経済外の強制力でかろうじてその生活水準を護られている。彼らの間には排外主義が広まる経済的根拠がある。欧米で、そしてまだ独仏ほどではないがフィンランドでも、極右勢力が伸びているのは、このためである。
 日本の製造業労働者の賃金は東南アジア、中国の16から33倍である。彼らの現場労働の生産性を16から33倍に上げることはまず不可能。したがって先進国は、国際的な経済格差が解消されるまでは、単純労働者の比率が多ければ多いほど、国の経済競争力が低下する。その比率を下げ、知的労働の効率を向上させ、すぐれた頭脳を国内に確保することが、国家経済を栄えさせる道なのである。フィンランドの指導者はそれがわかっているから、教育改革を重視し、企業所得・ベンチャー投資を優遇する。そして、単純労働を限りなくゼロに向かって減少させる構造転換の過程で、社会的緊張を激化させないためには、高度社会保障が不可欠だと知っている。学校ぎらいの子どもの存在が、この構造転換の妨げになると予想されるから、問題視されるのである。

〔意欲の格差〕
 高等教育に進む割合がホワイトカラー層で大きくブルーカラー層で小さいのはなぜか。日本で最初に考えられるのは学習機会に格差をもたらす経済的要因である。大学や院に進むには金がかかる。終身雇用・年功序列賃金の時代には、ブルーカラーでも、大企業・中企業の正社員なら、一人か二人くらいは子どもを大学にやれた。そして、彼らのほとんどが、入れれば子どもを名のある大学に入れたいと思った。だが、子は親の望む大学に合格できるとは限らない。幼稚園からでも高校からでも、付属や名門私立校に入れられれば、有名私立や国立に行かせるチャンスが増える。いい家庭教師をつけたりいい塾に通わせたりすれば、公立コースからでも合格するかもしれない。どちらも大学に行く前から金がかかる。一般にホワイトカラー層の子のほうがそういう金をかけてもらえるから、ブルーカラーより進学率が高くなる。親が、臨時工だったり零細企業で働いていたりして、在学中の学費や生活費を負担できなければ、人並み以上の能力と努力がないと進学できない。当然下層から進学する者の数は限られる。いま、パート、派遣、高年フリーターなど、低収入の非正規雇用が増えている。これからは教育の階層格差がもっと広がるにちがいない。
 フィンランドの大学や院はすべて国立で学費はかからず、学生の生活費には公的支援がある。ほとんどの子どもが公立の総合学校に進み、特別な教育理念を掲げる私立を選んだ場合でも、公的支援は手厚い。進みが早くても遅くても、その子に応じた学習支援を提供するのが、学校とその教師の仕事と考えられている。芸術系など少数の場合以外、親が金を出して子どもに学校外で補助教育を受けさせる習慣はない。経済的理由で教育機会に格差を生じさせてはならない、それがこの国のゆるぎない原則である。それでもなくならない教育の階層格差の原因は何か。
 例えば読み聞かせ。フィンランドでは父親が子どもに本を読み聞かせることが多いという。だが、給与の低い比較的単純な労働に従事して、それでも人並みに稼ぎたくて長時間働く親には、肉体的・精神的にそんなゆとりはないかもしれない。乳・幼児期の家庭の雰囲気は、一般に考えられているよりずっと後になっての影響が大きい。学校に行ってからの知的刺激は同じでも、その前あるいは家に帰ってからの文化的雰囲気は、きっと学習意欲の格差の原因になる。所得格差による教育機会の不均等が取り除かれてしまえば、意欲の格差があらわになる。そして意欲には環境の文化的格差が反映する。それは、教師や行政の努力である程度は補償できるが、個人としての個人のくらしが聖域となる社会では、補償には限度がある。このことは次の節で論じる精神文明の方向と関係してくる。
 (この項終わり)