映像の楽しみ

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 目のせいか頭のせいかわからないけど、ときどき活字に集中できなくなることがある。昼間でも眠くなって、文字が躍りだしたりする。そんなときでもテレビの映像ならだいじょうぶ。引き込まれれば眠気もふっとぶ。こっちに引っ越したときフンパツして、32インチの薄型デジタル・テレビとHD-DVDレコーダーを買ったので、ハイビジョンのきれいな映像も楽しめる。BSやCSで旅番や映画や連続ドラマを適当に録画しておいて、活字に疲れると順番に見ている。
 最近見た映画でおもしろいのがあったよ。タイトルは「箱舟」。貞操帯をつけられた女がいる。どうやってもはずせない。だれがどうしてはめたのかは不明。その女と彼女の夫が狂言回しをつとめ、場面場面は意味があるのに、全体としてはつながりのわからない映像が積み重ねられる。国も時代もはっきりしない。何度も時計が出てくるから時間がテーマなのかな。でも時計は「支配」の象徴のようでもある。今村昌平の「神々の深き欲望」を思わせるところもあるけど、コンセプトはもっとあいまいだ。ストーリーではなく映像で何かを伝えようとしている。動く人の体や風景が主役で言葉は脇役。
 だいたいわたしは、ストーリーのはっきりしない映画は好きじゃなかった。30年以上も前に「アングラ劇」というのがはやったことがあって、一度見たけどまた見たいとは思わなかった。最近人気の韓国ドラマみたいに、わかりやすくて風景がきれいなものがよかった。要するに、映画鑑賞者としては幼稚なんだね。わりと多く映画を見たのは19歳くらいまでの2,3年間で、その後60歳近くまではほとんど映画も演劇も見なかったから、成長してないわけだ。
 それなのに「箱舟」はおもしろかった。ながーい40年の中断を経て、今度はテレビでいっぱい見るようになって、少しは成長したのかな。映像から直接伝わってくる、言葉にするのが難しい情緒でも、楽しめるようになったんだもの。でも、後で確かめたらこの映画の台本と監督は寺山修司だった。なんのことはない、わたしが成長したんじゃなくて、作品に力があったからおもしろかったんだ。
 
 今日の写真は庭の花の続き。まずナデシコ。家の前のナナカマド(ダニにやられて見るかげもない)の根元に咲いた。雑草と思って抜かなくてよかった。次はイワギク。ヒメジョンかと思ったけど、花びらの幅が広いから、イワギクじゃないかな。ウチの庭には一本だけだけど、隣の家の前には群がり咲いているよ。三枚目は、これもたぶんだけど、イワレンゲの一種じゃないかな。はじめコケかと思った。コケには花は咲かないのにと、ネットでイワレンゲを検索してみたら、似た映像があった。小さいんだよ、草丈は2からせいぜい4センチ。最後はユリだけど、なにユリだろう。スミレの群れの中に一本だけ咲いてる。