小説を読む楽しみ

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 埼玉にいた最後の5年くらいは、一ヶ月に20冊は小説を読んでいたんじゃないだろうか。こっちに来てから、硬い本の量はあまり変わらないけど、小説は半分以下になった。図書館にリクエストしたものだけでちょうどよくて、書棚から探す必要はない。テニスの回数は少なくなったものの、外を眺めたり、散歩や遠出や畑など、ほかの楽しい時間の増え方がずっと多いせいだ。冬になったらもっと読めるようになるかも。
 大学に行くために18で上京してから、ほとんど小説は読まなくなっていた。中を飛ばして少年期と老年期が、小説を読む楽しみで接続したなんて、ちょっと不思議な気がする。まあ考えてみればあたりまえか。子どもは、貧しい環境では子守や家事や稼ぎでそれどころじゃないけど、経済先進国の普通の家庭で育てば、少なくても12くらいまでは、そのときの自分を楽しませることが仕事みたいなものだ。青年期以後の、将来のための修行や仕事や子育て・家族への義務が終わった後、運よく食うに困るほどじゃなくてまあまあ元気なら、「自分が楽しむ」をテーマに余生を送れるわけだから。
 子どものときは内外の文豪の作品が中心だったのに、いまはもっぱら新作だ。古典にまで手を伸ばすゆとりはない。北方謙三なんか、読んでいる間は確実に楽しめるから、新作の入手が遅れると損した気がする。短くて歯切れのいい文章が北方の美意識の内容とよくマッチして心地いい。彼の美意識の核にある「死に向きあう姿勢」や「男らしさへのこだわり」は、わたしの価値観と一致するわけじゃないけど、他人事としては、わかりやすくて嫌いじゃない。女の人だと、きいてみないければわからないけど、ちがう受け止め方の人が多いかも。
 今日の写真は雲です。次回のテーマなんだけど、一回では載せきれないので。画面をクリックして大きくして見てください。雲の迫力を味わってほしいので。